2010-01-01から1年間の記事一覧

価値と観察 4

喜びや怒りの対象は、ではどうやって日常で取捨選択している、していくのだろう。 私が喜んだものが、本当に喜んでよいものか。 誰かが、私をに向かって笑みを浮かべたとしよう。彼女は私に微笑んだのか、それとも、あざけりを見せたのだろうか。この判断を…

価値の観察 3

自分が、喜ぶべきもの、怒るべきものの選択は、どうして決めればよいのだろう。 人は、知らず知らずに喜び怒り生活をしている。その対象となるものが、常に目の前に存在している。人は、意識せずともその対象の選択を繰り返している。 その対象の選択が正し…

応援と観察 2

野球チームやサッカーチーム、スポーツ選手を応援するのは、楽しい。応援するチームや選手が勝つことは、自分自身をそのチームや選手に写し込み、自身の出来事として感じることができる。もちろん、負ければ自身のふがいなさのように感じることもある。人に…

スケート観戦 1

真央ちゃんのスケートを応援しようとテレビを見ていると、妻に「真央ちゃんの応援したらだめ。」と言われた。いつも私は、負けそうな方を応援してるので、私が応援する方はよく負けてしまう。 今回は、真央ちゃんが不調なので応援しようとしていた。やはり自…

父と子の夕食での会話 確率その他言葉の力

子 映画の時、毎回服を一枚持たされるの、うざい。服がじゃまなだけ、使ったことが一度もない。 父 子供に「うざい」と言われるのとても「うざい」な。 映画館で寒くなったら困るだろ。 子 10回以上映画に行ったけど寒かったことは1回もない。 父 11回…

「自己中」ゲーム 2

ロールプレイングゲームの世界は、この世界感がよく現れている。このゲームをしたことがある人なら、自分視点で見るゲームがあること知っているだろう。 自分はロール(役割)を演じていること。他者は、その者の役割を演じていること。自分の役割を演じな…

私の時間および自己中 1

私の時間、一人でいる時間、静かな時間を持とう。この「私の時間」は、人に邪魔されない時間のことだ。 「私の時間」には、二つの意味がある。人に邪魔されない時間という意味だけではない。 二人でいても、たくさんの人と一緒に過ごしていても、私の時間は…

今日の終わりに

今日、自転車で川べりを走る。夏や秋とは変わっていた。木々は、葉を落とし、空へ向かい枝だけを伸ばしている。空気もまた冷たくなった。 この雰囲気が好きだ。夏や秋のバーベキューや遊びに来た人々のにぎわいも気持ちがいいが、人が少なくなった中を自転車…

力のこと 3

力には、人がそれを頼る性質があると思う。力を行使できれば、短期的には自分の意思が達成できる。また力を行使することで、自分を強者として自身が尊敬することができ良い気分になることができる。また、他者も強者に対しては外見上の尊敬を払う。力が強く…

暴力考2

良い暴力と、悪い暴力があるか。暴力とは力に依存することだと思う。社会には規範を強制する力がなければ、社会たりえない。 この強制力が良い方向に向かっているか。悪い方向に向かっているか。社会の規範自体に悪が含まれていれば、社会が認める強制力にも…

力 暗黒面って何

暴力は何故行使されるのか。社会において暴力は是認されている。 暴力の行使を社会は否定しているが、これが表向きのルールだ。裏向きでは暴力と呼ばずに平然と暴力を行使している。大きな意味での暴力を、より下位のフォルダに分類して暴力と呼ぶフォルダ、…

車考2

車を使って力を見せることは、最も簡単な力の誇示の方法だ。 金のない若者は、暴走することによって力を誇示する。 金のある者は、高級車に乗ることによって、他人に対して優越観を得る。他人が乗れない車に乗るということ自体が自身の力を自分で確かめる方…

車社会考

高速道路での考え事。 この渋滞で何人の人がいるのだろう。20mで6台、1台2人で、12人、100mで60人、1km600人、渋滞8kmで4800人が同じ渋滞に会っている。 左側から追い抜いて、自分の前に入ったと思ったら、すぐに右車線に割り込…

働くことの意味

労働は生活の糧を得るためにあるのであって、本来は労働自体が生活の目的となることはない。 生活の糧を得るための労働が、生活そのものに転倒した。社会の生産性から考えれば、人が生活の糧を得るために1日8時間働く必要もなければ週に5日も働く必要はは…

勤労に感謝

労働は生活するためにあるのであって、労働自体が生活の目的となることはない。 このことは、太古の時代から生活のために労働しているのであって、労働自体を目的とした社会が成立したのは近代以降の価値観による。 なお、労働自体が生活の意味となることは…

生活と時間

最近出かけていないので、自転車で軽く出かけた。歩いて出かけるときもそうだが、空を見ることが多い。空の下に町があり、山があり、山の向こうには見えない何かがある。不思議に思う。 他の人も、空を見上げたりしているだろうが、こちらは見えない。川沿い…

意味 3

意味は、人によって見出される。 どのようなものでも、これに意味を与えているのは人だ。 人がいようがいまいが、物は人に関係なく存在する。花は存在するが、人がはじめてこの花というものを見つけて意味を見出す。 人がいなくては、花に意味をつけることが…

フォルダの意味、私というフォルダ 2

意味は、ものにあるのか。人がものに意味をつけているのか。 人がいなければ、ものに意味はないのか。石ころに意味があるのか。花に意味があるのか。花自体に意味がないとしたら、人は花に何の意味をつけているのか。 花というフォルダ(分類の意)は、花と…

父と子の対話

我が家の夕食後の会話より、「ニワトリが先か、卵が先か。」 子曰く 「卵が先に生まれている。どのニワトリも卵から生まれ、ニワトリの遺伝が決まるのは卵の状態だ。ニワトリという種が生まれた際は、卵の状態で遺伝がきまるから卵が先に生まれている。」 父…

私の二つの意味 8

私を意味と規定しようとする私がいる。私には私を規定しようとする私と、規定される側の私の2種類がいるように思う。今のところは、数えればまだいるかもしれないが。 私を規定しようとしてる私は、私を構成してる枠であって、思考の方法であり、その思考の…

朝の続き 7

私の中の社会とは、私の価値観、倫理観、ルールの積み重ねだ。美術、音楽、これらの趣味もこれまでの経験から好みが作りだされている。 私が満足するものが、私にとって最も大切なものと言えると思うが、この満足も私が決めているようで、やはり社会的な規定…

小さな社会 6

世界は広く、小さな社会が互いに重複し、小さな社会から構成された社会である。 世界の大きさは、私が見る視点によってその広さが変化する。ミクロに顕微鏡を覗き込んでも世界は存在するし、会社に行っても世界は存在するし、テレビで見てもその先に世界は存…

価値 5

私を規定することは難しい。私は、立場であり、物の見方であり、受け止め方であり、反応である。 私は刻々と変化しているが、総じて同じ私でもある。小学生の私も、高校生の私も、社会人の私も皆私である。 何が私を継続させているのだろう。記憶なのであろ…

見方 4

私を私が観察することで、観察している私と観察された私、どちらも私だが、次元が一つ上の私が生まれてしまう。観察された私は、過去の私となってしまう。観察しているのは今であるので、過去の私を思い出しているに過ぎない。どうしても記憶の中の自分、想…

層と泡 3

私を場所や関係として考えるとどうだろう。 私が見ている風景は、今は自分の部屋だ。この部屋の風景と音が全て、ドアを一つ開ければ、違う部屋に続いているが、ドアを開ければ、そこが月の上であろうが、水の中であろうがドアを開けない限り、本当にそこに自…

世界 2

私が見る世界。私を構成する世界。私を構成する世界とは、私が眺める風景、風景には、言葉どおりの視覚を含めて私が理解する世界のことだ。 世界は、私から見た世界しかない。反対に私を世界の側から見ることはできない。自分の目は自分で見ることはできない…

わたし 1

私って何だろう。 鏡なしに私が見える姿は、自分の手足くらい。目をつぶればどうなるか。 目を通して見えるところから、世界が見える。見えた世界が自分か。 視覚がなければ、音、思考が自分か。思考は自分だろうか。思考は言葉で成立しているが、言葉が自分…

自転車

自転車で知らない道を走る。ひたすら、目的などないのだが、走る。別に自転車マニアでもないが、自転車をこぎ始めると無心になる。もちろんこいでる途中もつまらないことも考えたりしているが、普段はいつも何か考えているが、自転車をこいでいる間は、考え…

はじめ

日々の生活で、これということもなし。大河ドラマなどを見ていると、大きな目的のために人は、生きていると思えるが、実は正反対、生きることが目的だ。 日々、小さなことをして生きているが、それに満足しつつ生きることも、ほとんどの人がそのように生きて…