2018-01-01から1年間の記事一覧

クリシュナムルティ感想4

クリシュナムルティは、自分自身を観察し、自身の心の動きに敏感であれと言う。何かに成ろうと努力するのでなく、何故、成ろうとするのか、そこを見ようという。怒りがある時、それを怒りと呼ぶ自分がいる。怒りの対象について、堂々巡りの考えをしている時…

クリシュナムルティ感想3

恐怖は、比較から生じる。あるべき姿と実際の姿。恐怖は思考により生じることを知る時、そこにあるのは比較すること、あるべき姿であろうとすること、それが恐怖をもたらしていること、事実、現在に恐怖が存在するのでないこと。事実の中に恐怖があるのでな…

クリシュナムルティ感想2

クリシュナムルティの教えをまとめてみようと思う。私が思ったことのまとめなので当人の言っていることとズレがあるとは思う。 物事を見るときに、人はイメージを通して観ており、物事に名付けをして、そこにイメージをもたらす。イメージをとおさず、名付…

クリシュナムルティ感想

思考は、常に過去に過ぎ行くものであり現在にはない。 現在が長さを持たない点だとすると、思考は常に過去のものになる。自分が意識しているのは、現在の点でなく、現在から見ると、少しだが前、過去になる。 また、言葉は、過去からの歴史的遺物であり、現…

めも

自転車で、河川堤防の上を走る。堤防から見ると、大きなビルがいくつも見える。あの窓の一つ一つに、人が働いたり、人が住み暮らしがある。それが、ざっと見ただけでも何万人分もあるのだろうと思う。一方では、こせこせと背中を張り合わす様に建つ老朽化し…

因果関係について

原因と結果、運命論者であれば、原因と結果が予め定められていると考えることに違和感はないだろう。私が生まれて死ぬまで指先一本の動きまで汗の一つまで、何事も定まった通りに進む。 この時、原因と結果は成立するのだろうか。結果が予め定まっているなら…

責任とは

責任とは何だろうと思うことが多い。下の子と、上の子が大学院を卒業するまでは親業をがんばろうと思う。親業と言っても金銭的責任の負担ぐらいだが、子も、後は自分の判断で生きていくだろうという歳だ。 この後、私は何を目標に暮らすのだろうか。子の成功…

心はどこにあるか

「物事は、心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される。」中村元訳、岩波文庫[真理の言葉]より。 心の外に、物理的世界があるが、素のままの世界に、私は住んでいるけど、私は、心を通してしか体験できない。 人は、自分が見たものを見たい方向をつ…

不思議な感じ

毎日、生きているのだが、いつも今しかない。日々に、日は暮れて、新しい日になるのだが、それでも、毎日が今なのだ。これを何十年と繰り返して、今、この歳になっている。 後、何年かで子が大学を卒業して、後、何年かで仕事を卒業して、とか考える。何年後…

欲しいもの。

この前、ジョージセルのベートーベン全集を欲しいと思っていたが、結局、買わず。 カラヤンのベートーベン全集が欲しいと思った。結局、買わず。 次はカラヤンのブルックナーの前期交響曲集が欲しいと思っている。これは現在進行形。 欲しいものがある時は、…

読書感想

時間には、未来や過去は存在せず、現在しかない。時間を2次元の線のように長さがあるものと捉えるのは、空間的な把握しかできない、比喩的把握であるが、実在のように考えるところに誤りがある。時間には、以前や、以後もなければ、現在しかない。そのとお…

自殺が悪であると考えること、人生に意味がないと考えること

自殺は、悪いことだと考えている。そのことは、以前の記事に書いたとおり。その論旨は、生命の本質である生きることを否定する行為は、悪。いたずらに、自身や他の生命の存続を目的とせずに生き物を殺す行為は、忌避されていること。直感的に嫌悪感のある行…

世界と私2

私は、世界の中に生きているのだが、世界の中心である。私は、世界のほんの小さな存在、色んな意味で小さな存在である。無名の人、普通の人、大衆一般に埋没する存在に過ぎない。 私は、この社会に埋没したある特定の視点から、世界を眺めている。この私の眺…

自殺は悪いこと?

子 自殺は悪いことと言える? 父 それは、言えると思うよ。人を殺すことは、悪いことでしょう。死それ自体は、人にとって基本的に悪いことだ。誰もが避けることができるのなら避けたいと思うだろう。生に満足した後に死ぬことがあればそれは、悪いことではな…

主観と客観

連休も、明日でお終い。連休中は、トマス・ネーゲルの論文集を読んでいた。 自分の理解をまとめるために、トマス・ネーゲルの読書感想を少し書こうと思う。 彼は、主観と客観性について語っているのだが、概略は以下の感じ。正確な理解ではないと思うので、…

世界と私

世界を見る自分と、世界の中にいる自分、どちらも同じ自分。主観的な私と、客観的に私を見るそれも主観的な私。つまるところ、私が世界の中の中心にいる。 こう思うと、世界は私の中にあると思うのだが、世界は私の思うようにならないことばかりだ。私が思い…

めも

昨日、上の子から手紙と花束をもらった。卒業を一区切りにして、感謝をしてくれた。こんなことをしてくれるとは思っていなかったので、少し驚いた。

プリンを作る

休日にプリンを作る。最近、時々やっていることだ。卵と牛乳と砂糖があれば、基本的な焼きプリンが作れるので、時間がある時に作っている。子に親の味を覚えさせようという気持ちもある。昔、食べさせてもらったよな。ということ。 プリンは、買うと結構高い…

見た目の大切さ

下の子は大学生なのだが、今朝、ヒッチハイクの旅行から帰ってきた。国内旅行なのだが、今時、ヒッチハイクで止まってくれる車があるのかと思ったので子に訊いてみると、けっこう、すぐに乗せてくれる車が見つかったそうだ。早い時は、1分で見つかったそう…

めも

「こころ」を大学生の頃に読んで以来になるのだが、最近、読んだ。上の子の卒論のテーマになっているので、この卒論を読んでみたくて読み直したのだ。高校生の頃は、何が面白いのか分からないという感想だった。最後、唐突に先生が亡くなって終りというあっ…

夢と現実

P・K・ディックの小説を読み終えたところ、彼の小説は読み終えたところでどよーんとした気分になれるので、それが好きで読んでいる。爽快感のようなものはなく、彼が書いた小説の未来と、現在がどう違っているか。それを考えるのも面白い。 彼の話には、巨大…

人の真似をしないとは

成人式のニュースをしていたのだが、インタビューで新成人が「他人の真似をしない人」になると、言っていた。妙に、それが気になるのでここにメモしておこう。 彼は、かなり奇抜な服装をしていたが、彼のまわりの人々も同様の格好、その地域では地域ごとに衣…

主語と述語と世界の関係についてのメモ2

fである何かが存在する。 論理式で書くと、∃xf(x) このfが物事の本質。xは個物である何かを指している。∃は、存在するという意味。 この∃xf(x)が成立するのは、変項であるxにある特定の値が入った時になる。faが存在するとしよう。aは、特定の値であるので…