朝の続き 7

 私の中の社会とは、私の価値観、倫理観、ルールの積み重ねだ。美術、音楽、これらの趣味もこれまでの経験から好みが作りだされている。
 私が満足するものが、私にとって最も大切なものと言えると思うが、この満足も私が決めているようで、やはり社会的な規定の作用を受けている。
 私は、社会の評価を受けたいと思うことは少ない。むしろ社会の評価から離れたところで一人整然としたような存在でありたいと思うが、このような心も隠遁者という価値観へのあこがれにすぎない。
 私を規定すること、私とは何かを説明しようとすれば、今のところは、私が受け入れた社会規範が私なのかと思う。
 推論は正しいように思うが、おもしろくない。
 
 私は、不満を見つけてはそれを解決しようとし、より新しい不満を見つけてはそれに飛びついているのか。日々の生活でも、同じ作業の繰り返し。色々なものに不満を見つけては、それを目標にしているのかもしれない。
 それであれば、不満でいること、不満であることに良い意味を与えてやれば、意味ある生活になるのかもしれない。