小さな社会 6

 世界は広く、小さな社会が互いに重複し、小さな社会から構成された社会である。
 世界の大きさは、私が見る視点によってその広さが変化する。ミクロに顕微鏡を覗き込んでも世界は存在するし、会社に行っても世界は存在するし、テレビで見てもその先に世界は存在する。
 私を視る作業は、この視点を虫眼鏡で内側に覗き込むことだ。私は、これまでに自分が歩いてきた社会が反映されている。むしろ私の中には社会そのものが構成されているのかもしれない。
 私が、大事とするものは、これまでの社会的規範や価値が反映されているし、その逆で嫌悪するものにも社会的規範、価値が反映している。ただ人々は、これまでに歩いてきた、「私」が選択した方向によってその社会的規範、価値が個々に違いがあるのだと思う。似た方向性の選択をした人々は似た価値観、共感を持ちやすい。
 私の個性とは、つまるところ私の歴史の中でその時々の社会に参加し自分が受け入れた社会的規範、価値の積層だ。この積層を変化させることは難しい。今現在もこの積層をつんでいる最中であるし、変化させるにも変化を起こさせるのも私自身であるので、本当に変化を起こしているのかも分からない。というよりも変化させたつもりが、今受け入れた社会的規範を新たに積み重ねているだけだろう。
 これでは、社会から独立に存在する個人的な価値というものは存在しえない。
 
 朝食ができたので、これくらいにしよう。
 私の一部は朝食とそのおいしさかもしれない。