車考2

 車を使って力を見せることは、最も簡単な力の誇示の方法だ。
 金のない若者は、暴走することによって力を誇示する。
 金のある者は、高級車に乗ることによって、他人に対して優越観を得る。他人が乗れない車に乗るということ自体が自身の力を自分で確かめる方法としている。自分の力は、何かに置き換えてしか人は見れない。高級車に乗る自分の姿を思い描き、他人の目に喜びを感じている。
 これは、暴走する人の心も同じだと思う。暴走行為が他人にどう見えているかを想像して自分のことをかっこいいと感じるのだろう。反社会的行動をしていることが、無法者としてかっこいいと感じるのだろう。
 車で乱暴な運転をすることは、簡単なストレス発散だ。車に乗っていれば自分の力が強いかのような錯覚ができる。相手方も同じ行為をすれば、自分の力の強さが虚構に過ぎないことに気がつく。乱暴な運転をする人は、相手方がそれをしないことを前提にしている。相手方の善意を仮定した行動をしているに過ぎない。これが自分の強さと感じることはあまりに単純だ。
 暴走行為は、自分と関係のない人に迷惑をかけるだけで、自分のまわりに迷惑をかけないことが前提とされている。一見すると反社会的な行為に見えるが、その人にとって、迷惑を受ける人はその人の社会に含まれていない。自分の家の周りで暴走する人はいないし、集団で暴走する人も、その集団のルールには反しない。その人にとっては、本当に反社会的な行動をしているわけではない。むしろそのようなグループの方が社会的拘束力が強い。
 本当に反社会的な行動は、自分が属するグループからまず精神的に抜け出すことが必要だろう。反社会的グループを構成することは、社会におけるグループを一つ増やしたに過ぎない。
 パソコン上に新しいフォルダが作成されたようなものだ。パソコン上ではどのようなフォルダを作ったところで、パソコンの中で整理されている。