力のこと 3

 力には、人がそれを頼る性質があると思う。力を行使できれば、短期的には自分の意思が達成できる。また力を行使することで、自分を強者として自身が尊敬することができ良い気分になることができる。また、他者も強者に対しては外見上の尊敬を払う。力が強くなれば、より強い力と対抗しなければならなくなる。私は勝ち続けるために、さらに強者とならなくてはならない。 
 それでいて、この力は私自身の力ではない。私の力と思っていても借り物である。
この力は、代わる者がいれば、あっさりその者の力となり、私はその力を失ってしまう。
 
 社会では、力の行使イコール暴力という理解はしていない。言葉の意味からは、暴力は、ルールの範囲内の力の行使は暴力と呼ばない。力の行使は、競争と言う理解が一般的だと思う。競争に勝つには努力を続け、今の地位を保つためには走り続けるしかない。立ち止まったとたんに皆は走りさり、自分は取り残されてしまう。この競争から抜けた者は怠け者であり、競争から取り残された理由はその者にある。
 人は、生活をして行くには、立ち止まることはできない。生活に余裕がない者は、走り続けることを余儀なくされる。
 世の中の多くの人は、走り続け、何のために走っているかにも気がつかない。競争から取り残される恐怖がために走り続けている。となりの人が持つ者を持たないことが許せない。
 このことに気がつけば、走ることの意味を考える。何を目的に走り続けているのだろう。何のために力を行使しているのか。
 力を使うことを目標としていないか。力を使うことは、その先の目標のために使っているはずだ。その目標が何かを忘れていないか。このことに気をつけていれば、力を使うことは目的にはならない。
 
 私は、力を使うことが好きであり、かつ、その力を使って有頂天になっている私を見ている。力を使っている時は、そのことに気がつかないが、後になって有頂天になっている私を見る。
 愚かだと思う。何故、力を使うことを喜んでいるのかと問う。その意味を考える。それでも同じことを繰り返している。力を使わずに生きていることはできない。力を使えば当然に反発がある。自分が使った力は、全部自分に返ってくる。