心はどこにあるか

  「物事は、心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される。」中村元訳、岩波文庫[真理の言葉]より。
 
  心の外に、物理的世界があるが、素のままの世界に、私は住んでいるけど、私は、心を通してしか体験できない。
  人は、自分が見たものを見たい方向をつけて見て、世界はこうだ。と決めている。物理的な世界には、良いことも、悪いことも、それどころか、出来事と言えるような文節さえないだろう。時間が経過するとしても、時間を計る人がいない、若しくは視点、基準がないのでは何も経過などしない。
  こんな素のままの世界に生きているんだけど、心にある世界があるおかげで、出来事が生じては消える。
  心に起きる出来事は、物理的な世界を反映しているけど、見方を決めているのは私。日本語のコードに従って、他者の言うことを、私の脳内にある私専用辞書を使って、他人の言葉を私の理解する日本語に翻訳する。世界の風景も、私専用辞書の元に構成された風景として映る。
  世界は、私の心に映り、私の辞書の下で理解される。世界を私は、私の相の下で見ているけど、普段の生活では、そのことを忘れている。
  私の心が正しくなければ、見える世界は正しく見えないだろう。もっとも、正しい心の基準がどこにあるのかは言えないけれど。
  私が作り出した出来事は、わたしの心の中にある。そのとおりだなと思う。そして、当てに出来ないのが、自分だけど、当てにするのは、自分しかいない。