めも

  「こころ」を大学生の頃に読んで以来になるのだが、最近、読んだ。上の子の卒論のテーマになっているので、この卒論を読んでみたくて読み直したのだ。高校生の頃は、何が面白いのか分からないという感想だった。最後、唐突に先生が亡くなって終りというあっけなさが、面白みを感じなかったのだろうと思う。
  今、読み直すと、全然違う面白さがある。多くの失敗と、失敗について何か一つ違えばと思うことが分かるようになって読むせいだろう。高校生の頃に、人生に影がつきまとうことの意味は体験としては理解できないというか、共感がなかったのだと思う。
  先生の体験とは異なるが、もう少し違えばと思うことが色んな面である。人生に影が差すそうゆう言葉の意味を実感として捉えるようになった。
      ここに今思うことをメモしよう。
      人の死は残された者に影を与える。良い記憶を与えることができればそれでいいのだが、自分の死によって人に暗い影を落として行くことは、詰まるところ、完結した利己主義のように思う。
      先生は、Kに対して、謝罪もできなければ、抗弁することもできない。さらに、このことをKに対して非難できない。Kの行為は、自分と周囲の人々に対する非難すべき暴力なのだが、このことをKに対して非難したくとも彼はすでにいないのだ。それでも、彼を非難することは、死者を非難、鞭打つことになってしまう。残された者は、Kの行為を非難する場を持つことも出来ず、自分や、関係する者の責任を問うことになる。
      Kは一人死んだように見えるが、精神的には一人で亡くなったのではないと思う。私は、死ぬ時は人は一人だと思う。精神的には一人で死にたいと思う。これを残された者への最後の贈り物にしたい。本当にそう出来るかは、時が来るまでは分からないが。
      自分の死に、人は責任を持つべだと思う。こういう意味でKの死は、無責任だと思う。こう言うことを残された者は誰に言うこともできない、そういう強制力が働くので、残された者はつらい。
      ただ、先生は、墓参りをして自分を慰めることになる。