責任とは

  責任とは何だろうと思うことが多い。下の子と、上の子が大学院を卒業するまでは親業をがんばろうと思う。親業と言っても金銭的責任の負担ぐらいだが、子も、後は自分の判断で生きていくだろうという歳だ。
  この後、私は何を目標に暮らすのだろうか。子の成功とか、成長をみるとかではない。そういうことは、二次的なことだ。自分の目標が何か、よく分からない。自分の価値観、生活を持っていないと子に迷惑をかけることになるだろう。
  責任があるということについて、多くの人はいろんな責任が自分にあると思っているだろう。最近、そんなものはあまり無いのではないかと思うようになった。
  契約についての責任、そういうものはあるだろうと思う。ただ、勝手に思い込んでいる「夫として、親として、子として」そういうものについての責任、社会における責任、そういう類のものだ。責任がどこに実在するかと言えば、頭の中にしかない。観念的にそういうものがあると思い込んでいるのだが、本当にあるだろうか。
  最近、人はもう少し自由なものではないかと思うようになった。思い込みでこうだと思っている、だけど、実は自分の思い込みでしかない人を見ていると、滑稽なのだが、そういう類のことが責任にもあるのだろうと思う。
  例えば、憲法改正論者は自分には責任があるとか言いそうなのだが、誰も、自分に対してそんな責任などないだろう。あるとすれば、欲望と思い込みがあるのだろうと思う。その思い込みが社会的に正しいのか誤っているのかはあるのだろうが、どちらにしても、それは責任というものではないと思う。
  自分の期待や、思考の傾向性、そういうものを人は責任と名づけているように思う。私は、責任という物はできるだけ捨てるのが良いのだろうと思うようになった。そのようなものは、自分の期待なのだろう。
  多くを期待すると、そこに依存が生じる。そして人を批難するようになるだろう。
  そこに義務があるのか。私達は、もう少し自由になることができるのではないかと思う。