読書感想

  時間には、未来や過去は存在せず、現在しかない。時間を2次元の線のように長さがあるものと捉えるのは、空間的な把握しかできない、比喩的把握であるが、実在のように考えるところに誤りがある。時間には、以前や、以後もなければ、現在しかない。そのとおりなのだが、人生という単語が存在するように、実在しない時間と言うものを抽象的存在として捉えるのは、人間のあり方だろうと思う。過去や未来は存在しないが、ある意味、人生は存在するのだと思う。私のこれまでの人生は、私の語りによってそういうものがあったのだと、語りのレベルでは存在すると言えるだろう。
  実在と語りのレベルを切り分けることは、かなり難しい、何が実在かと言えば、それも実在をどう語るかということになる。現在しか存在しないところから、人生という全般を見渡すということについての意味がないということ、未来も過去もないのだから、人生もない。そこに、人生に何か意味を見出すのは、個人の語り次第。
  現在を生きる上で、人生が何かを比ゆ的ではあるが、人生を長さを持つ一つの線のように考えた時に、何か意味があるのだろう。という素朴な、気持ち、人生と言う目的、この目的を規定する上位の目的、そういうものがあればいいなと思う気持ち。それは、結局のところ解消していないと思う。
  人生に、人類一般に通用する普遍的な意味はない、あるとすれば信仰にすがるしかなく、あとは個人レベルで個人の人生に意味づけを自由にして下さい。そういうことになるのだろう。
  先ほど、ニュースにあったのだが、5歳の女の子が「どうか許してください」とノートに書いて衰弱死した。人生に何の意味があるのだろうか。そう思うと、悲しみしかないのだろうかと思う。その子にも僅かでも、幸せな時があっただろうと思うが、その記憶はなくなっていただろうと思う。
  客観的な意味では、人生は意味はないのだろうと思う。ただ生まれ、ただ死ぬ。それがあまりに短いと不幸を思い、長ければ幸せがあったのだろうと思う。それも、その人を思う人が思うだけ。それ以上の何かを求めると、個人が何か自分の人生にこうだったと自分で語るしかないのだろう。
  人生の意味は、そういう点で主観的なものなのだろう。