見た目の大切さ

  下の子は大学生なのだが、今朝、ヒッチハイクの旅行から帰ってきた。国内旅行なのだが、今時、ヒッチハイクで止まってくれる車があるのかと思ったので子に訊いてみると、けっこう、すぐに乗せてくれる車が見つかったそうだ。早い時は、1分で見つかったそうだ。子も、何故、乗せてくれたのかドライバーに訊いていた。小ぎれいで、ニコニコしていたから。孫に似ていたとか、息子に似ていたと答えてくれたそうだ。
  下の子の経験では、ヒッチハイクは小ぎれいとニコニコが大切ということ。
  下の子は、おしゃれもそれなりにしているし、持ち物は、私が持っているものよりも新しいし、私よりは上等なものが多い。その上、若い。きっと笑顔も話してみようという気になる表情をしているのだろう。
  この話を聞いて思い出したのが、下のユニセフの動画。
  1人の子供を違う身なりにして街に出す。小ぎれいな服装をさせた時、汚い服装をさせた時、1人で街角や、レストランに立たせる。この時の人々の態度を遠くのカメラで写している。
  小ぎれいな時は、皆、人々は子供に話しかけ、親切にしてくれている。汚い服装の時、人々は誰も声をかけない。汚い服装の時、人はその子が近づくと手荷物をそばに引き寄せる。
  誰もが、自然にそういう行動をしている。本当に助けがいるのは、汚い服装の子の方なのだが、助けてもらえるのは小ぎれいな子供、遠ざけられるのは汚い服装の子供、どちらも同じ人物なのだが。
  親切心が働くのは、小ぎれいな者に対してなのだ。しいたげられた者に対して、親切心は働かず、むしろ、警戒心が働く。
  たぶん私も、汚い服装の子に、手助けや食事を与えることはしないだろう。本当は、その者の方が必要としているにもかかわらず、それどころか、公平に、同じ子供のように、小ぎれいな服装の子と同じように扱うことをしないだろう。
  私は、何年か前に、ビッグイシューという雑誌の街角販売をしている人を見かけたことがある。その当時は、買う場所が決まっていたので、その場では買わなかったのだが、その人の見た目の汚さにもう少しきれいにすれば良いのにと考えたのを思い出した。
  私は、服装は大切だと思う。自分が着る服で不快感を人に与えてはいけないと注意している。しかし、汚い服装をしている者を見る時、私はいつもどう考えていただろうかと思う。
  小さな子供であれ、大人であれ、服装でその人を判断しているように思う。
  どうすればいいという訳ではないが、ここには考えるところがあると思う。