無色透明な犬 1

  無色透明な犬、この言葉は、中学生の子の国語の宿題で見つけた。少し面白い。

無色透明な犬ってどんな犬だろう。
 
 柴犬、マルチーズ、シェパードどの犬も無色透明ではない。この犬達は、私がすぐにイメージ出来る犬だ。
 名前の分からない羊のようにでかい犬や、馬のような犬を散歩させている人を何回か見た。初めて見た時は、何これ、犬だろうか。と考えたこともある。
 無色透明な犬は、頭の中にいる犬だ。何だろうこれは、犬なのだろうかと考える時、これは犬ではないという時の一歩手前の犬だ。
 私は、頭の中にたくさんの犬を連れて来ることができる。もちろん先に挙げた柴犬やマルチーズ、図鑑を使えばさらに珍しい世界中の犬を連れてくることができる。
 図鑑に載っていない犬を連れてくることもできる。政府の犬や、幕府の犬、変わったところでは女王様の犬、世の中には色んな犬がいる。このあたりの犬は、そこら辺にいっぱいいるはずだが、あまり外見が犬に似ていないので分かりにくい。犬に入れて良いのか微妙な感じもあるが、犬が無色透明なら、入れてもOKだろう。
 本当は、犬が完全に無色透明になってしまうと、極端な話、犬のところに恐竜を連れてこようが、モンスターだろうが何でもいい。無色透明な犬という時の犬は集合に付けられた任意の文字に過ぎず、この文字「犬」は対象を特定する意味を持たなくなってしまった。
 
 それでも無色透明な犬と言った場合には、犬と言った以上は、やはり犬でなくてはならない。完全に無色透明で人に見えなれば、集合Aと表現するのがいい。人が犬と言う場合は、少し色が残ってしまう。そうでなければ無色透明な犬と、無色透明な猫は同じになってしまう。
 無色透明な犬がそこら辺にいればいいのだが、そんな犬はいない。それでも多くの人が、犬っぽいものを見れば犬と言という。下手な絵を見たときには困るのだが、犬っぽければやはり犬と判断する。(このあたり犬か猫か分からない子供の絵を見た時は違う楽しさがある。)
 無色透明な犬と言っても、無色透明に限りなく近くても、最後には犬っぽさが必要。
 そうすると、どこかで犬っぽさの共通した理解が必要になってしまう。犬っぽいものは、誰もが定義を習うわけではない。子供の頃から犬を見てこれが犬だと、たくさんの経験で覚える。この経験をろ過したきれいなものが無色透明な犬だろうが、あまりにろ過してしまうと、犬が残らない。
 こうして無色透明な犬は、私の頭の中に居ついてしまった。しばらくは無色透明な犬の姿を想像することになりそうだ。