意味

意味が何であるか、意味が何を意味しているのか。仕事の意味や、人生の意味、自分の意味、そして意味の意味。
  何にでも、意味を問いたくなるのが、言語を使う条件となっているのだろうか。会話の意味、言葉の意味を確認する。考える作業が習慣になっている。どんなものにでも、意味があるのだろうと思う。言葉で、何かを考える時、ある対象を考えると、その対象には意味がなければならない。
  人生を考えると、対象である人生には意味がなければならない。「人生」という語の意味を考えるのも、そうであるが、ここでは「自分の」という前提がついてくる。それに意味があるかどうかは、分からないのだが、言葉で考えると意味がなければならない。そういう意味では、語りなのだと思う。「人生」語り、私なら私の語りが、誰かに聞かせたい、自分で自分に聞かせたい語りなのだろう。
  誰も、人生という事実は持っていない。生の事実、出来事、そのようなものはない。現に、今、体験していることでも、私の解釈に基づいた事実、出来事だ。解釈的事実というものを自分自身で、語っているのだ。私に関する事実が、私の語りの上で事実であろうとも、それは語りということに変わりない。
  この語りが、意味であろうと思うのだが、そう考えると、この意味というものは無色透明なものだ。人生の意味や意味の意味であろうが、語ろうとするところが意味であれば、意味という意味は無色でしかない。そのときおりに語られるものだ。