たのしみ 

  カラヤンのベートーベン交響曲第4番をブルーレイディスクで聴いている。ハイレゾの5.1チャンネルの再生なのだが、うちにはセンタースピーカーがないので4.1チャンネルで再生をしている。

  ヤマハのAVアンプにJBLの安いスピーカーをつないでいるのだが、けっこういい音で聴けるので満足。部屋が小さいからこれ以上大きなスピーカーをつなぐこともできない。

  クラシックファンのブログを見ていると大変なシステムや部屋を持っている人がいる。うらやましくも思うが、身分相応を考えると真似できることではない。

  きっと高いスピーカーはきっと良い音がするのだろうなと思うが、自分の耳の方には聴き分ける自信もない。生の演奏会でも、家のステレオでも似たような音だと思っているくらいだから、大した聴覚やセンスはないと思う。

  良い物を欲しがるのは、楽しみの一つだ。物に執着しないように思っているが、凡人だから、結局、何某かの執着はあるし、それがないと世の退屈から、生きることが楽しめなくなってしまう。

  物に自分を投影して威張るようなことは馬鹿げたことだと思うが、物で自分が楽しむのは悪くないと思う。

  執着と楽しみの関係は、楽しみに執着すると、それが楽しみでなくなる。むしろ、苦しみや恐怖の原因になるだろう。執着することなく、楽しめるそれが理想なんだろうと思う。

  楽しみは、それが記憶になるとまたそれを体験しようと思う。それが執着になるのだろうと思う。

  その時の楽しみは、その時で終えなくてはならないのだろう。あとから、思い返して、ああ楽しかったと思えればそれで良い。

  そう、過ぎたことは戻らない。それは1回限りの体験であり、同じ体験は2度ない。