人生の意味

  ワルターベートーヴェン交響曲全集を購入した。とても高いが、それだけの値打ちがあると思う。音楽が伸びやかで楽しそうに聴こえる。第8番はこんなカッコ良い曲だったのか。と思うように、この人が指揮していると違う曲のように聴こえてくる。

  人生の意味を考えることがある。ついこの間、自転車で転倒して顔をケガした。運が悪いとこういうことでも死ぬよなと思った。また、それで仕方ないとも。突然、死ぬ事もあるわけだが、何で生きてきたのかな、これをしたよとか言えるものがあったら良いなと思うわけだが、そういうものがあるわけでもない。良いこともしていると思うが、これです。と言えるものはない。一方、後悔は幾つもある。

  意味という言葉の意味が分かれば、人生の意味と言った時に、その意味が分かるのではないかと思い、意味の意味について幾つか本を読んでみたが、意味について始めから知っている以上のことはなかったように思う。

  人生の中で、今、音楽を聴いているのであればそれが人生の意味だし、ブログを書いているのであれば、それが意味、つまらない仕事を毎日しているなら、苦役という意味、何か、今していること以上の意味、そういうものは無いのだろうと思う。

  もし、今から死ぬ事になりますと言われれば、総括的な反省をして、それが人生の意味と踏まえて、死ぬ事になるのだろうが、その反省の基には多くの忘れた出来事があるわけで、そちら側にも意味はあるはずだがいかんせん覚えていない。

  人生の意味は、多くの忘却の中にもある。記憶している出来事はほんの僅か。そこに救いや意味を求めても死ぬ間際の自己満足なのだろう。

  淡々と、人生を受け入れて、今の楽しみがあればそれを楽しみ、苦役は、苦役としてこれを続けて行く。凡庸な人生だが、誰に認めてもらう必要もない。

  みんなここで、人に認めて欲しいのだろう。だから、意味を欲しがる。それを、これです。と言う人に従ってしまう。誰もそんなことを知らないし、自分が考えられないことについて、知っていると言う人の言う事が正しいのか、自分で判断出来るわけがないのに。だから、信じろと言われてきいてしまう。考えなくて済むから。

  人に認めてもらう意味は、結局、自分が他人に認めてもらったと自分で認める手段、そういう構図だ。

  自分が独りで存在していることに気がつけば、人に認めてもらう必要はない。犀の角のように独り歩もう。