普遍の意味

私の理解があっているのか心もとないが、色即是空、世の中の形というものは何もない。空であり、無常であるという考えがあるが、普遍論争での論点もそんなところにあるのではないかと思う。どこか共通点がある。
普遍論争では、唯名論では普遍など存在せず、普遍とは名に過ぎない。実在論では、普遍こそが真の実在と強い立場では言っていたが、普遍が存在せず、名であるとすれば、普遍と言う実在がない。そこには、形と言うものがないのではないかと思う。赤や、三角、お金、様々な普遍があると思うが、これが名に過ぎず、実在はしないというものであれば、世の中に形というものは実在しないという、色即是空の考えに共通点があると思う。
お金を例に考えてみよう。
この唯名論の立場であれば、お金はどう理解するのだろうか。お金は、実在しないのだろうか。
ハイパーマネーや信用取引というものは確かに空想上のものだ。これが、目の前の一万円だとどうだろうか。これは、インクがしみついた紙であるが、そこに金という普遍が張り付いているように思うのだが、唯名論の立場であれば金とは名に過ぎないわけであり、金という属性や性質は認められない。この金という性質を認めるのであれば、全ての紙幣、硬貨には共通する金性というようなものが存在することになる。そうすれば、それは実在論であり唯名論ではなくなってしまう。
赤という普遍を認めない立場は、比較的分かりやすい。赤そのものなどは存在しない。というのが唯名論の立場であるが、金そのものを認めない立場というのは分かりにくい。現実にはクレジットで買い物を唯名論者といえどもするわけであるが、これは実在ではない言えばそうであるのだが、あえてお金は実在しないという立場というのも、世の中に存在するものがかなり少ない立場になるだろう。では一体何の存在を認めるのかと言えば、全てとしかいいようがないのではないかと思う。個物という境目は、何らかの概念、普遍による線引きがなされているのだろうと思う。これが、実在ではないと考えると、世の中、色即是空なのかと思う。世の中は、あるようにあるのであり、そのままにある。ただこれも、見えるとおりにあるわけでもない。見えるものはまた、形であるのだから。