アストラのクローン問題について。

アニメの「遥かなるアストラ」でクローンへの記憶移植が問題になっていたのだが、渦中の記憶を移植する側、オリジナルの人は、自分のクローンを乗り物に喩えていたのだが、オリジナルのひとは、本気でこれで納得出来るのだろうか。
私がオリジナルで、君にはクローンがいるから、それに記憶移植するから、この手法を繰り返せば永遠に生きることが出来るよ。と言われても、私は、クローンの側ではないから、やっぱり死んでしまうのではないですか。クローンの人が、私と同じ記憶を持っていても、私じゃないですよね。クローンの人に記憶移植が済んだから、用済みです。と言われても、やっぱりオリジナルの私は死にたくないと感じますよ。
記憶移植が済んだ瞬間にオリジナルは、意識を失くしますと言われたとしても、意識を失くしたら、私は、同じ記憶を持つ隣の人と入れ替わってるのですよ。と言われても、私は、死んでるんじゃないか。と思う。
隣の私と同じ記憶を持つ人が、私に付加して、違う情報も持っていたら、つまり私の考えにない考えを記憶移植後に始め出したら、私は、そこにはもう存在しないんじゃないか。
正確に同じ情報しかクローンの側にないとしても、クローンって、別の人じゃないですか。私って、死んじゃうじゃないですかと思う。
記憶情報が人格を保証してくれるという発想なんだろうけど、コピーを複数すれば、私が10人にでもなるということでしょ。そうしたら、君は、10人いるから、1人が死んでも9人がいるから、君は死んでいないよ。と言われても、死ぬ側の1人の問題は依然として残ると思う。
人の死の問題は、情報に依存しないんじゃないじゃと思う。記憶情報にしても、USBに残して置けばとか、遺伝情報にしても、複製できたとしても、人が死ぬことには変わりが無いだろうと思う。
この後の展開を知らないから、この後、この違和感が解決するのか分からないけど、謎解きは、未だあるから楽しみ。昔の宇宙家族ロビンソンとバイファム足したアニメと思ってたけど、これから、面白いのかなと思う。