普段着

わたしは、服に関しては、ほとんど興味がない。以前はスーツやジャケットも着ていたものだが、仕事柄、現場もあり、普段は作業着でとおし、冬ならこれに防寒服のスタイルだ。子には、父さんは腹も出てないんだから、よい格好をすればいいのにと言われている。

ある日、私の父が訪ねてきた。その姿を見て私は、「もう少し格好よくすればいいのに。」と言っていた。
父は、腹が大きくでているため、普通に服を着こなすことが難しい。普通にズボンを履けば、ズボンは腹で下がるのだ。その日は大きなお腹の下にだらりとした紺色のスウェットパンツ、上にグレーのパーカー、さらにオレンジの雨合羽を羽織り、たすきがけにショルダーバッグを持っていた。なんとも言いようがない感じなのだ。
普段、子達の言いたいことがこの日少し分かった。格好は気を付けた方がいい。

ただ、まだ着れる服を捨てるのが嫌なのだ。私の服は、20年以上を経ているものも多い。少々の汚れはあるのだが、痛みは少ない。これを捨てて、見栄えがよいから代える。これができないのだ。見栄えのために使えるものを捨てることに抵抗がある。社会の人が皆、私のようならファッション業界は成立しないだろう。
車についても同じだ。まだ乗れる車を5年経ったから乗り換えるという考えが嫌いなのだ。うちの愛車は20年を超えても健在だ。ディーラーの担当は、車検の度に新車のカタログを用意し乗り換えの案内をしてくれるが、毎回、これを断っている。「車が可哀想だから」と言って断るのだが、私の担当も可哀想に思う。

物を大切にしながら格好良く、今ある服でこれをしようと思う。元が20年前の服が多いので、格好良いとは言えないだろうが、少なくともおかしくない組合わせにはできるだろう。