概略 資本論

プロレタリアートは労働者のことです。労働者とは、時間を自己の商品として会社(資本と呼びます)に売る人です。労働者が売る商品は、自分の時間しかありません。決して仕事自体を売っているのではありません。肉体労働、精神労働どちらであっても、時間単位で他人に支配される人は労働者です。労働者が何故、時間を売るかといえば、労働者には時間以外に売るものがありません。
土地や工場や資材を持たない人は、自分に売ることができるのが時間しかないからです。

資本は、労働者の時間を購入することによって、富を蓄積します。資本にも、土地や、工場や、資材の価格は自由にできないですが、購入した労働者の時間は、自由に上手に使うことができます。人使いが下手だと富が生まれません。今まで二人で仕事をしていたのをマニュアル化して一人でできるようにすると、一人分の購入した時間に余裕が生まれます。この余裕の時間でまた生産します。この余裕の時間が富の蓄積になります。パソコンやシステム変更で仕事が変わります。こんなとき、労働者は、今までよりも仕事を早く済ませても、新しい仕事が増えて働く時間は結局変わりません。これを繰り返して、一人にたくさん働かせるシステムを作ります。これが富の蓄積になります。こんなにキツイ仕事をすることと、他人の支配の下に興味がない仕事をすることが労働疎外です。某牛丼チェーン店が夜中に一人で営業しているイメージです。二人は必要なところを一人にします。某ハンバーガー店で社員は一人、あとはマニュアル化して同じことばかり言うアルバイト店員しかいない。社員は休むことなく働いて、サービス残業もたっぷりのイメージです。
サービス残業は、資本のまるもうけになりますので、資本はこの形で搾取するケースもあります。

何故、労働者の労働疎外が生じるかと言うと、生産手段がないからです。生産手段があれば、自分で工夫して働くことができるのですが、他人の生産手段の中では勝手ができません。労働者の賃金は、生産手段を買うのに必要な額がありません。この賃金は、労働が再生産(飯を食って労働者の子供が労働者になれるくらいの賃金になります。)するの必要最小限の額になります。何故そうなるかは、労働者が増えても賃金は上がらない。(雇用大=好景気だが、労働者自体が増えるので買い手市場でそれほど値が上がらない。)、労働者が減っても(雇用小=不景気、リストラの状態)賃金は下がるからです。

これでは、労働者が金持ちになれることは永遠にありません。労働者の子供は、いつまでたっても労働者で人に支配されるままです。
そこで、労働者も支配側にまわることを考えます。これが階級闘争です。
支配側にまわるには、まず生産手段を自分で持つことです。資本から、賃金で生産手段を買い取ることはできませんので、これが社会革命になります。社会革命が成功すれば、生産手段が労働者の手に収まりますが、誰かが独占すると同じことですので、生産手段は社会科(社会的所有)になります。(共産主義が上手くいかないのは、結局は誰かが独占してしまうことに一因があります。)
生産手段が自分の手にあれば、自分で工夫して働くことができます。(農業や自営業の生き生きしたおじさん、おばさんのイメージです。)
そうすれば、生き生きと働くことができるので、労働疎外が克服されます。
このような、生き生きと働くこと(働くことに喜びがあること。)によって人間性が回復されるのです。

ワーキングプアや、リストラが首切りと同意語になっている現在は、労働者、会社員が人(一人の人格)として扱われていません。
この状況を回復することが、人間性の回復にあたります。