回転寿司と牛丼

年に数回しか行かない回転寿司に下の子と行ってきた。その場での子の一言。

「この一皿で牛丼一杯食べれるよなー。」

この鮨屋は、皿の色で値段が違うのだが、黒い色か何か高級感のある皿をとった時に言った一言だ。
子供心にも、ふとそのような気持ちが沸いたのだと思う。時給800円なら30分働いて、やっと一皿が食べれるような値段のものに、気軽に手を伸ばして食べている。この現実に少しだけ、まだ働いたことのない子が気がついたかと思う。

普段、私は牛丼を食べないのだが、子が一度も牛丼を食べたことがないというので、子と一緒にこれを食べたことがある。
この牛丼は、家族4人で食べても恐ろしく安い、何故これほどに安く作れるのか、リーズナブルなお値段には、それ相応の理由があるだろうと思うのだが、子にもこの値段でお腹一杯になるという印象は強烈に残っていたのだと思う。

この牛丼店は24時間営業で、深夜には強盗に襲われる恐怖を感じているのかどうか分からない、防犯に費用をかけるくらいなら、確率的に強盗に襲われる方がましと考えているのかどうかも分からない店舗なのだが、そこの牛丼は、一皿の回転寿司以下の値段である。

回転寿司の値の高い一皿には、それ相応の理由があるのだと思うが、少なくとも働く人がいるというところには共通点がある。原材料費だけがその理由の中身全てではないと思う。

子の一言に、私はこの社会でのシステムや価値の不合理さを感じた。

そして働くとは何なのだろうかと思う。