人と依存の関係

   酒を飲まない日を作ってみた。今週は月、火は酒を飲んでいない。水木金は飲酒をした。そして今日は飲まない日にしようと思う。これは、家計と健康維持のため、そして、酒を楽しむ時間を他の楽しみにしようという、飲酒を制限した時にどんな結果が生じるかを観察するという実験でもある。(今のところ、体調が良い気がする。)
   今日は、何かを習慣とし、それに依存する構造について考えてみようと思う。
 
   ある人はタバコ、お酒、仕事、TV、それを習慣とし依存する。
 何かしら、依存という構造にもたれて、これを心の拠り所として暮らし、習慣の中に依存が生じ、依存のために習慣が発生する。習慣という定型化された行動は、心を落ち着かせやすい。習慣は、何も考える必要がないから、そこから、その時々に考えない、感じない生活が生じると思う。
   心の拠り所は、とは何だろうか。タバコ、アルコール、家族、仕事、アイドル(歌手、俳優、趣味、何らかの対象であれば良い。)を手にしているときに安心感がある。
   私がこれらを欲するのは、私が空しく、何もしないことに耐えられないからだ。何もしない時の私は、私が何者でもないことを知っているし、何もしない退屈、何もしていないという事実、無価値な時間に耐えることは難しい。
   習慣から生じる依存は、私が空っぽの存在であることを一方で知りながら、それを意識しないために、私にはこれがあるという偶像を私自身の中に生みだす。私がアルコールをとる時には、気分の上昇が起こり一時的な高揚感を生み出す。それは、一時的なものであって本来の私自体には何の変化もない。アルコールがあれば私が何者かを考えることを要さず、空しさを忘れさせることに成功する。そして、アルコールは、小さな幸せの小さな偶像となる。もちろん小さな偶像は、アルコールだけに限らない。
   私が作った偶像は、偶像の大きさに合わせて私を幸せにする。そして、私は偶像が大きくなれば、偶像がないことに恐れを抱き、偶像が継続することを望むようになる。私が作り出した偶像から、満足だけが生じればいいが、私はこの偶像を守ることに窮し、振り回されて暮らしていく。
原発の物語は、この偶像の関係にある。偶像を意識的に作り上げ、偶像へ資金を投射し、偶像を介して資金を回収していく。偶像は世界に溢れている。)
   本来、私が生み出した偶像(イメージ)は完成とともに消え去れば良い。楽しみは、その時限りの満足であるはずだ。この一期一会の楽しみに偶像(イメージ)を抱き永続性をもたらすこと望む時、その時に私の中に依存が生じる。 この偶像のあり方は、私の心のあり方である。心の拠り所は、私の中にあるのでなく、私が私を投射する偶像の中にある。
   偶像を持たないことは、私の中に何もないこと。絶対的な投射の対象などないことを知ることだ。それは私を投射する対象は、常に相対的であり流動的なものでしかないことを知ることである。私自体が投射の対象と同一でないこと、自己同一視できないことを意識しなければいけない。
   一方で、依存の構造は、私が選んだ対象が社会的に評価されることであれば社会的な成功を生み出しやすい。また、社会的に評価されないことでも(反社会的でない限り)私が偶像に疑いさえ持たなければ、私は幸福に暮らすことができる。(自己満足と言われる姿だ。)依存も方向性が良ければ悪いことだけではない。依存していることに気づかないこと、依存していることについての評価をどう考えるかだけだ。
   既に私の中には、よく見ればあらゆる種類の偶像(これまでの教育、経験から得た既成概念、価値)が用意されているし今も偶像に乗り暮らしている。そして世界の側からは、ひっきりなしに新しい姿の偶像が提供されている。商品経済は、人を商品に依存させることに、依存であることを気づかせないうちに、消費者自らが進んで欲しがるCMを大量に提供している。また、政府は常に多くのプロパガンダを流し続けている。今は、依存の関係について対象を一つとして考えているが、実際には依存の関係は個人の中で同時並行的に価値の体系の中で進んでいる。私の中で、私の何が依存であり、何が依存でないかを知ることは難しい状況にある。
   今も、多くの人がTVに依存しているし、ネット、携帯電話に依存する、商品を買うことに依存する人など、依存は一人の中に同時進行で生じている。
   そして、依存の対象を見つけ、これを否定すること、 これも突き詰めると自己完結型依存、自己という考えへの自己依存という姿(循環論法)になる。依存という言葉にあまりにこだわっても、自己ということにあまりにこだわっても、やはり依存という構造から人は抜け出すことができないのかもしれない。
   ここまで考察して依存という構造そのものが人のあり方そのものであるように思えて来た。依存は、抜け出すということでなく、違う付き合い方を考える必要があるだろう。また、実験の結果がでれば考察してみようと思う。