どうしてここにいるのか。という気持ち。

  自転車で河口まで走ってきた。川辺は変わらずジョギングやサイクリングをする人、少年野球、釣りをする人、いろんな人がいる。
  その中を1人、自転車で走るのだが、いつも思うのだが、どうして私はここにいるのだろう。と、
  自分で自転車に乗ってきたのに、どうしてここに、という問いもおかしいのだが、別に、自転車でここに来なくても良かったのに。でも私はここにいる。
  ここにいることは、自分で選択した結果なのだが、この選択というのは、さかのぼると朝、自転車で出かけてみようかなと考えたこと、それ以前に、この家に住み、今の仕事を選んで、その前には大学を卒業して、以下、延々と遡及した結果が、今。
  それで、どうしてここにいるのだろうと思う。この思いをすることは、つまらない会議に出たり、つまらない宴会に同席したり、そんな時にもよく思う。どうしてここにいるんだろうな。違うところにいることもできたんじゃないかなと。
  でも、実際には、ここ以外にいる場所はない。これから違う場所を選ぶことはできるが、今はここしかない。
  そして、「今はここしかない」のだけど、今でない未来や過去には、ここは、存在しない。あるのは「ここ」でなくて、今から見る未来や過去には「そこ」にしかない。私が考えて、今の自分がいる場所を見る時は、未来や過去に見るのでなく今しかない。結局、今のここしかないことになる。
  今と違う場所を選んだとしても、その時にはそこが今はここしかない場所になる。その時、どうしてここにいるのだろうと考えるのだろう。
  私は、ずっとこの「どうしてここにいるのだろう。」という問いを持ち続けているような気がする。どうしてここにいるのかは、訊かなくても、自分の行為の結果であることは知っているのだから、尋ねる意味がないような気もするのだけれど、川に流れる葉っぱが自分だとすると、どこかの淀みにかかった時、どうしてここにいるのだろうと考える。そんな感じがするのだ。
  単に、今と違う場所への憧れに過ぎないだろうか。それでも、どこに行っても、やはりどうしてここにいるのだろうと考えるような気がする。この気持ちは、生まれてから延々と続く因果関係への不思議、それとは別に、自分の力ではどうしようもない、生まれ落ちた環境への不思議だろうか。
  誰もが同じような感覚を持つのだろうか。それが分かっても、解決はしないのだけど。