フォカッチャの準備中

  今、フォカッチャ(イタリア風のピザの具のないようなパン)を準備している。休みの昼は、よくピザかフォカッチャを自分で焼いて食べる。
  フォカッチャとピザの生地は、うちでは共用、薄く延ばして焼けば、ピザ、パンのように焼けばフォカッチャになる。
焼く温度をフォカッチャの場合、220度程度に下げて焼くのでよりふっくらと仕上げるようにしている。
  具は玉ねぎのスライスか、ローズマリー、凝っている時はナスをグリルしたものをのせる。
  焼きたてのフォカッチャにワインがあれば、それで満足の行く料理になる。付け合せに色々とある方が良いのは良いが、焼きたてを食べようと思うと余計な料理は作れない。
  休日の午後は、こうして過ぎていく。ワインを飲んで食べてお腹が満たされると、ゆっくりしたくなるので、気がつくと夕方になる。
  先に、ワインを飲んでいるので、夕食は大体が軽くなる。この季節だと湯豆腐か、鶏の水炊きなんかをすることになる。
  今日は雨が降っているので、外に出かけることもしない。休日に家に居ていると、もったいない気がしたりするのだが、雨だと初めからあきらめがつくので、これはこれでよい。特別なことはしないのだが、こうしてゆっくり過ごす休日があるというのは良いことだ。
  何故か、休日は何かしなければならないとか、もったいないと思うことが多い。根が貧乏性なのだろう。時間を無駄にするという罪悪感、誰に対する罪悪感なのか。ウェーバー言うプロテスタント倫理でもあるのか。日本人は、勤勉なのだろう。この自分に対する罪悪感とは、どういう種類のものなのだろう。こういう感覚を全くもたない人もいるのだろうか。
  何もしないことの寂しさ、この寂しさが罪悪感の原因なのかもしれない。