勤労感謝について

  仕事をしていると、一日が長い。朝でかけて、夕方に帰る。私の仕事自体は、私には個人的な興味がない。
  一生の仕事をやっているひとがうらやましい時がある。そういう仕事についている人は、非正規雇用が4割を超える社会になった現在では、そうそういないのだろうが。
  現代は、そういう意味では人間の労働からの疎外ということがますます進んでいるのだろうと思う。労働は、ある意味、苦役である。むしろ、本質的なところでは苦役。作品という意味でのワークと労働は異なる。この作品という意味がある仕事をしている人がどれだけいるのであろうか。
  自分でそういう仕事を選ばなかったのは、私の責任である。誰の責任でもなく、私の責任だ。これを引き受けるのも私、何か自分を投影することができる仕事、そういうものにあこがれるのだが、今、私が置かれている状況で、自分のなすべきことをなすしかない。
  労働に、自分が反映されない、もしくは反映することが幻想であると考えている人間にとって、労働を続けることは苦役である。60歳定年から、65歳までの間、賃金が半額になっても年金がでるまで働くことができるだろうか。。
  もう、今の仕事を続ける気力はないだろうと思う。労働と作品の関係は基本的な労働の問題だろう。私に限らないが、世の人々はどう折り合いをつけているのだろうか。