めも

  連休に入ってP・K・ディックの「高い城の男」を読み上げた。書店で手にとって面白そうだから買ったのだが、ディックらしい内容。ナチスと日本が戦争に勝った世界を書きあげているのだが、割合、日本に好意的に書かれている。
  日本が戦争に勝っていたら、日本による全体主義がアジアに蔓延していたのだろうか。
  日本の全体主義の特徴は、誰も責任をとらないこと。旧憲法下での天皇でさえも責任をとらないし、それ以外の人間はなおさら責任をとらない。システムとして責任が明確にならないように、集団行動が前提。このことは、現代の学校教育や、部活動でも実践されている。団体責任、なんじゃそらというのが、理性的な判断だと思うのだが、そのような責任の負い方は、結局は責任の希薄化、原因、経過、結果、責任の関係を全て無効にしてしまう。
  それで横並び社会が形成されていくのだろう。このあたり、侍ジャパンとか言っているが、人口のほとんどが百姓でその子孫がほとんどで、苗字から判断しても何でこの人が侍なんだろうと思う人物がいっぱいいるが、それで気分よくやっている人達が多いところにも共通点があるのかとも思う。
  第一、侍ってそんなに偉いのかと思うのだが、自分で生産活動をするわけでもなし、侍の多くは官僚的統治機構の一員としても、大部分が過剰な存在で社会的に貢献していたというよりも、百姓を搾取していたといって良いと思うのだが、このあたりは、あまり考えないのが、日本流、さわりの良い言葉の裏や奥は考えない、これが集団でのルールなのだろう。
  この集団がおとなしい間は良いのだが、暴力性を発揮し始めた時、暴力のネジが巻かれた時に、誰も止めることができないのが、全体主義のおそろしさ。