小さな体験

 最近、休日にすることが多いのが掃除だ。家で気がついたところの汚れを取ってやる。普段の掃除は、嫁さんがしているのだが、どうも四角いところを丸く掃いているので、時々、隅をつつくような掃除が必要なのだ。
  何か、一つだけでも家がきれいになると気持ちが良い。小さなことだが、こういう積み重ねが生活なのだろうと思う。何か、大変なことをしようと考えるよりも、小さな手仕事を一つ、一つこなしていく。それが清潔に繋がるのであればなおさら良い。この手を動かすという仕事、瞑想のような効果があるんじゃないかと思う。
  自転車に乗って出かけるのも、そうなのだが、一つペダルを踏む。そのことに集中する。掃除も同じ、何かそのことをしていると、余計なことは考えない。また、そういう時に考えていることは、何と言うか心が落ち着くような気がする。
  我を忘れて、手作業を行う。そのことに集中する。忘我の時なのだが、これは思考の遂行という意味で私的時間でもなく、また誰かと繋がりがある公共的な時間でもなく、脱時間的な体験のように思う。
  まあ、我を忘れてという体験も少ない気もするが、時折、熱心に作業をしているとそういう風に後で思うことがある。