労働の意味一考

労働の意味、働くことの意味をよく考える。好きでもない仕事を続けているのだから、よく考えるのも当然と言えば、当然。日常の必要を満たすため、衣食住を得るために労働が必要であるのは当然である。
これが、労働のそもそもの意味、この上に何かを加えると、労働から生み出されるものが、何らかの作品へと昇華していくのだが、この昇華した結果が、労働者の手に帰って来ることはほとんどない。評価されない労働であり、労働の本質とも言える。労働の本質は、資本による搾取、労働以上のものを得ることが、生産可能であり、これを換金可能であるからこそ、労働者を資本は雇用する。
この本質、評価されない、金になり帰ってこないというところが、労働の労働たる所以であるが、では手を抜けば良いかと言えば、そういうわけにもいかない。労働の評価見合いで良いのは当然であるが、働くということは相手、環境が存在する。私の手違いは、まわりに影響をするのだから、その影響は悪いものであってはいけないと思う。自然、人を相手にしていると何とかしてやろうとか、満足してもらおうという考えが起きる。
これは金だけの問題ではない。では、この関係が労働の意味足りえると言えば、そうではない。環境は不断に変化するし、人の評価をえるために働いているわけでもない。
ここで、労働に意味を与えるということに無理があるのだろう。労働に意味を与えるということは、金であればそのままだが、これにまんぞくせず、ことなる意味を見出したいとなれば、違う目的を与えることになるのだが、ある目的を与えたとしても、この目的に満足できるか、しばらくすれば、また一つ次元の上の目的が欲しくなるだろう。金という目的に満足せず、この上の次元の目的を探そうとするように。
延々とこの繰り返し、これは労働に限る話ではないようだ。生きる目的などというものを考えれば、次の目的を見つけることの連続を要求することになるのだろう。
意味は無いという。結論も一つの結論。