世界を見る

世界をどういう風に、どんな風に他の人は見ているのだろう。私以外の人は、世界をどのように思っている。考えているのかと時々思う。
ここでいう世界は、私が見る世界、私が投げ込まれている。今まさに目の前の世界のことだ。地図でいうような、世界という意味ではない。
最近ではDQNドキュンというような言い方をされているが、何を考えているのかさっぱり分からない人々、大人になっても、いつまでもヤンキー気分が治らない、気分でなくてもはや世界になっているだろうと思うが、
私が考えるのは、そのような意味での世界だ、DQNの人々が何を考えているのか、DQNに限らず、私以外の人が何を考え、どのように世界を見ているのか、分からない。
私も職業を持っているが、その世界に生きる人がいるのだが、もちろんその人にも、私が見ない私生活があるのだろうが、その人と会話しても、どこか私は住んでいる世界が違うのだろうと思う。いわば、私の方が仮住まいというか、その世界では、本気では住んでいない、どこか別の世界から眺めているように思う。その世界は、仮住まいだから、成功しなくてもいいと、出世欲のようなものはない。金は欲しいから、給料に関しては上げてはもらいたいが。
今、職業での仮住まいを言ったが、何か私生活でさえも、人生そのものが何か仮住まい的な気分がしているのだ。
この生のほかに住むところなどないにもかかわらずに。何か、命を借りているというか、生きている感覚はあるのだが、周りの世界の中にとり置かれたような気分がある。
こんな、気分を周りの人々が持っているのか、世界を他人はどう感じているのか、例えばDQNの人々は、世界ということなんて考えないのだろうな。こんなことを言っている方が、バカというか分からんのだろうと思う。
私は世界を眺めているが、まわりの人は世界を生きているように思う。というか見える。どこか私と、世界の見方が違うように思う。
世界を正しく見たいというか、世界が何なのか知りたいと思うのだが、結局は私の世界という姿に、ちっぽけな私の世界になってもどってくるという感じがある。世界は、私が見るように大きいのだが、私が見ている世界はちっさいのだ。
この、大きなはずの世界に、小さな世界を作っているというか、住まいをしているというか自分がいる。