仕事について

子の夏休みの宿題に親の職業についてのレポートの提出があった。
そこで、子からの質問があるのだが、これが難しい質問だ。
「仕事の魅力は何か」
仕事の魅力はと訊かれても、仕事には魅力はない。そのような仕事ではないからだ。多くの仕事がそうなのだと思うだが、仕事は作品ではない。労働であり、ある意味苦役である。働かずに済むのなら、明日からでも働かない。私なら、同じ時間を使うのなら、違う芸術的な活動でも始めようと思う。
仕事が、魅力であるのは、一部の人、恵まれたか若しくは自分でよく選んで仕事を決めた人、決して仕事が労働ではない人のことだ。そうでなければ、仕事中毒、自身の活動、価値を労働を通して、地位というものを得ることで満足する人、そのような人についてのことだろう。
仕事に魅力があるなしは、確かに重要な問題である。だが、世の中の多くの仕事には、実際には魅力などない。
マルハニチロの食品への農薬混入事件が典型的だが、会社は労働者のためを、労働者の生活や人間性などは考えてはいない。彼は、マルハニチロから仕事を通じて授業でいうような自己実現が可能な地位や、待遇を受けていただろうか。
テント村に暮らすような派遣切りされた人々は、これまでにそのような仕事の魅力というものを感じたことがあるのだろうか。
仕事の魅力を語るには、学校は仕事について楽観に過ぎるのではないだろうか。テレビで対談する人達は、仕事の魅力を語ることができるだろう。ただ、多くの仕事、日本の産業を底辺で支える工場労働や、サービス業の多くの現場には、そのような魅力が今あるののか疑問だ。ワタミでの労働者の自殺を考えても、単純に仕事に魅力があると言えない環境、人々がいる。
仕事と言っても世の中には、他人に自己の時間を売り、その支配下の元に賃金を得る労働と、そうでない仕事がある。労働と仕事は、言葉の使い方によるが、ある意味異なるものだ。労働についても、比較的人間性が保てる労働と非人間的な扱いを受ける労働がある。このことは、授業でも教えるべきだと思うのだが、仕事への夢が幻想にならないように。
現実の仕事はそんなに楽ではない。やりたくないこともやらなくてはいけない。仕事とはそんなものだ。
仕事と魅力を同次元で語る。これは一昔もふた昔も以前の幻想、あまりに仕事の苦役的性質を無視した単純な語り口だ。仕事の魅力を語るのであれば、労働の性質、社会における労働の意味、資本の形成の源泉が何であるか、その上で、魅力がある仕事を探す方が良い。全ての仕事に魅力があのでなく、むしろ魅力のある仕事というものもある。そのような理解に行き着くのではないかと思う。
その上で、仕事というものが何であるか考えるべきだと思う。