我思う。

高校生の息子がデカルトの「我思う。故に我あり。」を世界史でならったと言ってきた。普段からマトリックスの話をしてたりするので、この手の話は、既に息子とも何度もしているのだが。
子 「我思う。故に我あり。」世界史で話が出たけど、クラスの半分以上が分かっていなかったよ。
父 コギトエルゴスムかな。我って言ってないという説もあるけど。
子 どういうこと。
父 考える。だから、考えがある。くらいの話じゃないかな。考えがあっても私があるって限らないよね。
子 だから、考える私がいるんだから、考える私はいるだろ。
父 考えがあっても、私がいるとは言えないだろ。私は概念だろ。私という概念と、考えがあるとは違うだろ。コンピューターが考えたとしても、私と言えるかな。私というには、考えがあるだけでは違うのじゃないかな。
だから、考えがあるから、私があるとは言えないように思うけど。
子 世界史で話すから、そこまで考えていないんだよ。もう一つよく考えるとそうなるのかな。
父 「山田は思う。故に山田は存在する。」と言えると思うかい。山田は必ずしも存在するかは、分からないよね。「考える者は存在する。」という前提がないと、論理的には言えない。考える者は存在すると
どうして言えるのかな。ここに論理が分かれているように思うんだけど。先生に訊いてみたらどうだい。
子 そんな、自分で気がついて調べたことでないことを訊いてもだめだよ。今は、日本の借金は、ずっと、借金し続けたら返さなくていいんじゃないかと訊いているところだから。