象徴天皇と元首としての天皇

象徴としての天皇と、元首としての天皇の違いは何だろうか。
日本国憲法では象徴、日本帝国憲法では元首として表記されている。
元首としての定義は、元首をその国が同位置づけているかによって異なり、元首は国を代表するものであるが、元首に主権の在る無しが国によって違う。日本国憲法で元首としているのは、旧憲法での反省から主権を持たないことをはっきりさせるために、象徴と表記しているのではなかろうか。
最近では、象徴に満足できず、元首として定めるべきというような論があるが、あえて元首とすることに意味があるのは、天皇が一番という価値づけをしたい人々にとって意味があるのだろうと思う。
象徴では、国民と一緒になってしまうからね。そういう意味では、天皇と国民が一緒ということが許せない人々の意見なんだろうと思う。
象徴かつ元首でよいなら、あえて憲法の表記をかえて元首とする意味はあまり高くない。決して象徴でない、実権ある元首としてしまうと、元首としての機能が主権におよんでくる。天皇の機能は主権に及ばない状態が、象徴であるからだ。
こう考えると、元首に変更したい人々は、象徴かつ元首を求めているのか、象徴でない元首を求めているかによって大きく意味が変わってしまう。
単に象徴から元首に変更してしまうと、象徴であるのかないのかが明確でなくなってしまう。そのことを利用しようとする人もでてくるのではないか。
この天皇が自分達の象徴でない存在として、国家の最高の地位に立つ時に、国民は国家に反対することができるのだろうか。現在でも天皇については批判的言動はタブーであるが、国家に反対することが天皇に反対することに繋がるのではないか。と危惧がある。これもタブーになれば、一段と意見を言いにくい世の中になるのではないかと思う。