風呂

世界は、私である。今日風呂に入りながらふと思った。風呂屋には、多くの人が来てそれぞれに疲れをとりに来ている。私も週の疲れを取りに風呂屋に行くのが楽しみになっている。
私の知らない人ばかりだが、それぞれに自分の世界を持っている。
私と同様か、またそうでないかも分からないが、世間の中に生き、そして家族もいることだろう。
その人の世界は、私には理解できない。見ることも知ることもできない。
風呂の中庭には、植樹がしてあるのだが、誰もよくは目を留めていないだろう。
1本の木をよく見ればこんな枝ぶりだったのかと思った。そして、その葉の形を見るとこんな形の葉っぱなのだなと思う。
いつもは風景に過ぎない木に葉っぱ、人も同じことだと思う。風呂屋には多くの人が来ているが互いに風景であって干渉することはない。
よく話を聴けば、こんな人なのかと思うこともあろうが、多くの場合はとおり互いに知ることもなく過ぎていく。
空を見ると、雲が浮かんでいるが、この雲も人が見なければ気づかれないままに過ぎていく。
大きな空の下、多くの人が住んでいるのだが、それぞれに世界を持ち、自らの世界こそが世界と信じつつ生きている。