形而上学?

子 アリストテレス形而上学て何?
父 形而上学ってどこで出てきたの。
子 国語の評論に出てきたけど、形而上学の意味が分からない。而は意味がないし。
父 形而上学って、アリストテレス形而上学は、学問の後の学問だったと思うけど、これじゃ意味が分からないよね。学問を基礎づける学問かな。正直、形而上学の本を読んだこともあるけど、あんまりよく分からない。形而上学というと、存在や無いということについて考えていると思うんだけど。
  たとえば、「無いことは在るのか。」というような。無いことが在るなら、無いと矛盾するし、無いことが無いなら、無いということもない。「無い。」というような物はないんだよ。無いものをイメージすることはできないだろ。在るものが今無いということは言えるけど、初めから無いものは、無いとさえ言えない。
子 無いことがないなら、存在が在る。在るという意味もないんじゃない。
父 存在がないなら、存在しないし、存在が在るなら存在する。存在自体に在るが含まれている。存在に在るとか無いという言葉を付けること自体がナンセンスか。無いことが在るの逆バージョンか。
  形而上学って、もやもやっとして、雲の上の学問という感じだろ。だから何々の形而上学と言う時は、良い意味で使っていないことが多い。評論では、レトリックとして役に立たない学問という例えに使っているのかな。
子 評論でも、言葉の意味が分からなくても問題なかったから。