命題論理と全然、そして「やばい」

父 やばい、やべーとか言う表現、かなりやばいよね。何が言いたいのか。
子 少し、上から目線が入っている冷笑的な感じがするね。本当に否定の意味で使っている人っているのかな。
父 ルパンが銭型の父っあんに捕まりそうな時、やばいだろ。ほんとは、全然やばくないんだけど。オリジナルはこの使い方だよ。
子 やばいって全然を肯定に使っている人の言い方に似ているね。
父 いや、全然を肯定の意味で使うのは全然OKだけどね。論理的には、全然良い。全然悪い。言い換えると全て良い。全て悪い。どちらも問題ないね。レトリックとしても面白いんじゃない。
子 やばい。というのは、全然形容できないようなことを形容する時に使うのよ。
父 それ、かなりやばいね。形容できないようなことを形容する形容詞だよ。では、「やばい」はどうなるの、形容詞じゃないの。
かなりやばい状況を形容する形容詞だと思っていたんだけど。やばいでも形容できない時は、超~やばい。激やばす。それよりやばい時は鬼やばい、鬼鬼やばいってなるのかな。
子 言っている意味が分からないの、それとも、ふざけて言っているの。
父 いや、論理学では、自分を含んだ言及をすると、パラドックスになる。という話があるんだ。曖昧という言葉には曖昧な定義しかないし、厳密には厳密な定義がない。
形容できないことを形容する形容詞って上手くこのタイプの自己言及の文になっているんだよ。
「曖昧という語は曖昧である。」は、真でいいだろ。
「厳密という語は厳密である。」これが駄目なんだよ。厳密は、実際は曖昧な言葉なんだよ。自己言及をするとおかしいタイプの語があるんだよ。形容できないことを形容する形容詞なんてものを認めると、神様が怒っちゃう。
「この願いを叶えないで下さい。」って神様に頼んでいるようなものだね。一体どうして欲しいいんだよ。こんな願いないあるよ~。て言いたいね。
形容はできないと言っておきながら、形容できるんだから。Aでない。かつAと言っちゃってるんだよ。
これが、矛盾なんだけど。面白くないある?。
子 やばいね。


*曖昧と厳密は野矢茂樹さんの「論理哲学論考を読む」からの引用です。