父と子の対話 スマートホンと便利な社会

父 スマートホンってそんなに便利かな。
子 携帯電話を持ってないような人には分からないよ。
父 携帯電話で十分じゃないか。携帯電話にパソコンの機能がついてなくても、パソコンがあるところで調べればいいんじゃないか。
子 パソコンもデスクトップがあるじゃないか。あれが持ち歩けるようにしたパソコンだろ。持ち歩けると便利なんだよ。
父 パソコンを持ち歩くのは、仕事のためだろ。携帯電話にそんな機能が付くようになれば、いつでも仕事をしていなければならなくなるよ。しかも、GPS機能で居所まで会社に探知されているんだよ。そんなことが、本当に便利なのかなあ。会社にとって便利なだけで、社員が自分の携帯電話で自分でお金を払って便利というようなことではないと思うんだけどなあ。
子 営業で色んなところに行かなければならない人には便利なんだよ。
父 社会全体がスマートホンがあるから便利という圧力を与えているんじゃないかな。スマートホンがあるから便利、イコール幸せというイメージを知らず知らずに押し付けられているように思うんだよ。スマートホンがあるから幸福になった人なんていないんじゃないか。スマートホンができる前の人が不幸だったわけじゃないだろ。本当の便利さとは違うと思うよ。営業の出先で仕事をするのが便利というのは、無駄のない仕事ができるということだけど、その便利になった分だけ、また違う仕事を同じ時間で要求されるだけだよ。それを、会社員に過ぎない一個人がスマートホンで便利になったと喜ぶようなことかな。
子 スマートホンの話で、幸福がどうのこうのとか言うようなことかな。
父 スマートホン自体で幸福になるかどうかだけを問題にしているんじゃないんだよ。むしろ、スマートホンの便利さは、あるんだけど、その便利さは誰にとっての便利さかを、便利と言う前に考えた方が良いと思う。自給が900円から1000円くらいで定職につけないワーキングプアの人でも携帯電話やスマートホンを持っている。収入全体から考えて通信費の占める割合が高すぎるのに。そのような人でも、収入に比べて高額な通信料の携帯電話を持ち続けなくては仕事につけない。携帯電話や特に割高なスマートホンをそんな人までありがたがるのはおかしいだろ。
子 パケ死だね。(注、パケットが払えず自滅することを言うそうだ。)
父 スマートホンがある社会が便利な社会という幻想を、社会自体が与えていると思うんだよ。むしろ、スマートホンなど無いような社会こそ、個人にとって便利な(幸福な)社会かもしれないのに。そのような考えを便利という言葉を使う時に一度考えてみるべきなんだ。映画のマトリックスでは、人々が機械に繋がれて電池にされていたのを覚えてるかい。人々は、携帯電話やスマートホンの電池にされているんだよ。人々は機械に繋がれて便利と言う夢を見せられているんじゃないか。
子 機械に繋がれた人は、夢の中、マトリックスでは幸せに生きているからいいんじゃないか。
父 電池にされた人々は役に立たなくなれば、電池にされていたことにさえ気がつかないままに捨てられるよ。これが幸せなのかな。ブランド品もそうだけど、社会が与えた幸せ、目標のブランド品を買うために必死に働く人々は、この社会、システムそのもの、そしてシステムを支配する人々の電池にされているじゃないか。人々がブランド品を手に入れてもマトリックスのように夢、幻想に過ぎないんじゃないか。
子 マトリックス2と3で、ネオを倒してマトリックスに戻ろうとした人がいるよね。マトリックスが夢でも、幸せを感じることができれば、それでいいんだよ。
父 彼は、現実世界からマトリックスに戻ろうとしたんだけど、現実世界に気がついてマトリックスを選ぶけど、気がつかないままにいることが幸せだろうか。
子 そんなことに気がつかない方が幸せだよ。