父と子の対話 お客様は神様?

子 あのコンビニの店員さんとても感じがいいだけど、もう一軒の店員さんは、おしゃべりに夢中でめちゃくちゃ印象が悪い。
父 日本では客の店員に対する要求が強すぎるんだよ。コンビニの時給程度で、店員に要求するサービスが高すぎる。
子 「お客様は神様」という言葉が広まりすぎて、みんなそんな風に思っているんだよね。この言葉の対偶(*注1)をとれば、お客様は神様じゃないのにね。
父 対偶か。文の前後をひっくり返して否定形にするのだったかな。「神様でなければお客じゃない。」となるのかな。じゃあ、店に人が来ても神様じゃないからお客じゃないのか。ふーん、この結論はおかしいから、前提条件の「神様でなければお客じゃない。」は間違いで、これを元の文に直すと「お客様は神様である。」が間違っているということか。背理法(注2)で「お客様は神様じゃない。」の証明か。
  でも、どうしてやってきた客(人)が神様じゃないと言い切れるんだい。客が神様じゃない証明がないと、証明になっていないよね。こうすると話が堂々巡りか、トートロジーみたいだね。
子 やってきた客が神様じゃないことは、当たり前じゃない。日本の神様はたくさんいるから、人も皆、神様と考えてるの。
父 そう、全ての人の中に神が宿るという考え方もあるよね。でも、日本人は無神論が多いから神がいないことを証明すれば、「お客様は神様じゃない。」が証明できるわけか。今度は、神の存在証明みたいになってきたな。
子 神様がいない証明って、悪魔の証明で無理じゃない。
父 悪魔の証明というよりも、神様がいることも、いないこともどちらも証明不可能だよ。「神様でなければお客じゃない。」言葉の意味は分かるんだけど、証明にしたら、もう少し惜しいな。
子 どこを探しても、神様は見つからないんだけどね。
父 いや、コンビニに行けば見つかるよ。
 
注1 対偶
「AならばBである。」の対偶は「BでないならAでない。」例、人間であれば哺乳類である。哺乳類でなければ人間でない。元の文が正しければ、対偶は必ず正しい文章となる。
注2 背理法
前提を仮定して結論を導き出し、結論が間違っていれば前提が誤りであることが証明できる。
相手の理屈を一度肯定してみて、それでやってみて失敗する、した場合は、元の理屈が間違っているという論法