将来

    「お前たちの将来は暗いぞ。」と子が通う中学校の先生が言うそうだ。
   これだけ聞くと、すごいことを言うと思うが、続いてよく勉強しろよと言うそうだ。確かに、私の子の世代の将来が明るいという展望はない。
   私自身の給料も下がり始めて何年が経過した分からない。そういう世の中になったということだ。
 
   この前の政策仕分け(提言型)では、生活保護受給額が最低賃金を上回っていることを理由として、生活保護受給額の引き下げを提言していた。ニュースでは、生活保護受給者が、最低賃金や基本給の引き上げを要望したインタビューを紹介していた。生活保護受給者の主張では、生活保護の受給額が高いのではなくて、最低賃金や基本給が低すぎるという主張だったのだが、民主党の考える方向性は全く逆の結論だった。この提言は、未来を提示している。
 
   放射能は、日本中に大量に吐き出された。そしてこの拡散もまだ止まっているわけではない。拡散した放射能は今後、何十年、何百年の影響をもたらすだろうし、他の原発がいつ事故を起こすかは確率的問題になった。事故は起きないわけではなく起きると考えざるを得ない。この確率も、東大教授が言う巨大隕石が落下する確率よりは、遥かに高いものであることが破滅的結果を経てやっと分かったのだが、単純に考えて、原子力利用を人類が始めて以来、人類は既に3度の破滅的な事故を招いている。
   私の世代では冷戦下による核戦争の恐怖というものが、漠然と世界を覆っていたが、現在では、身近に撒き散らされた放射能、再度の事故の恐怖、風評被害を名目とした情報統制が日本を覆っている。
   スーパーで買い物をすれば、きのこ類に放射能検査済みのシールが付いていた。私自身、事故以来キノコを買わなくなっていたのだが、気にする人は多いのだろうし、全く気にしない人も多い。全く気にしない人からすれば、風評被害なのだろうが、危険性が分からないものは全て排除という選択は、調査能力に限界のある気にする方の個人としは当然の選択だと思うが、結果として世の中は気にする人、しない人に二分された感がある。 気にする側に立つ私とすれば、スーパーでの買い物ひとつで不便になった。買い物では、放射能を含有しやすいものは買わない、産地は確認してから買う。
   今の日本で生きていくことは、放射能をどの程度避けるか、どのように金回りの良い方に回るか、それを自己責任の名のもとに選択をしていくことになる。
 
   私の子が言うには、原発を続けたい奴はバカだ。何故分からないのだろう。この点では私も全く同感だ。
   そして金を儲けをしたいそうだ。世の中には、お金を持てない側とお金を持つ側の2通りあって、お金を持つ側にまわりたい。中学の先生の発言も基本的にはこのことを敷衍して勉強をしろと言っているものと思う。
   このことについての批判は可能だが、私にはこれに代わるべき案はない。私としては、金儲けよりも好きなことを見つけそれを続けることができる人になってもらいたいのだが、私自身がこれに成功していないので説得力がない。
   そして、これが、大人自身が自らの行動に既に懐疑的であること。単純な世界観の提示ができないことが、私の子の世代の将来が暗いという原因、先の見えない未来でもあると思う。