唯私一人ということ

   前回の「父と子との対話」に続きとなるが、唯私一人ということを考えてみたい。
   世界に、私は唯一人である。私という独自性、置き換え不可能性は比較するものがない。
   そして私は、世界の中に生きつつも、世界と交渉しつつも、唯一人である。誰かと会話をしている時も、唯一人である。話相手がいて、一緒に暮らすことができることは、私にとって必要なことだ。普通の意味で無人島で暮らすように、また多くの人の中で暮らしつつも私一人であるならば、私は健全な精神が保てないとも思う。
   それでいながら、私はいつも一人だと思う。私は、私という窓から世界を覗いているのだが、また世界を聴いているのだが、家族とおしゃべりをする風景においても、私は直接に家族である他者を知ることはできない。私は、私の窓から世界を眺め、その中で活動をしているが、直接に他人の窓を覗くことはできない。皆が他人の窓を覗くことができるのであれば、私は唯一人であると言わなくてもよい。
   このこと、唯一人の私の絶対性、このことから私には特別な地位が、他人とは異なる地位が、私にとって与えられていると言ってよい。他者の死は、私にとって風景である。しかし私の死とは、当たり前だが私の消滅、私という窓から眺めた風景そのものの消滅であり、唯私だけが行いえることである。そして、逆には、この風景の存在は一重に私という存在にかかっている。この点で私が生きることは、ひとつの風景、世界の存続がかかっている。この意味で私という存在はかけがえがない。
   このかけがえのない私ということ、存在を考えるとき、私ということ自体に、寂しさがある。何故ならば、私は単数形であり、まさに一人であると感じるからだ。そしてこのことを感じない時は、私は社会の中で充実している時間であるのだが、この時に私は、私であることを単数形であることを忘れている。この時の私はややこしいが、私達という複数形、もしくは自意識が欠如へと変化しているように思う。私が、私と言わずに行動しているとき、例えば料理を作っているとしてもいいのだが、この時に私という意識は、私にはない。私は、塩が足りているだろうか。よく焼けただろうかと考えるだけである。このような時間においては、私は忘却され、その行動の中に埋没しているように思う。この時に、私は寂しさを感じることなく、自意識の欠如(私という主張のない状態)の状態になる。皆で料理を作った場合には、私達という意識が後発的に生じるように思う。その時に、私が一人であることを忘れている。日本人は、この皆で料理を作った。私達の意識への帰属がとても強い。そこで、私がという言い方が好まれない。
   この私達という構造、私には時間があると、すぐにテレビをつけることが癖になっているような感がある。旅行先に行っても、旅館かホテルであればテレビがある。家と違うことをするために旅行に行っているのだが、ついテレビをつける。私が何故、テレビをつけるのか。私が一人であることを忘却するために、気づかせないために私は、そばにテレビを置き、本を読み、誰か他者がそばにいるかのような幻想を頼りにする。
   しかし、テレビをつけても私が一人であることには変わりがない。テレビも、しばらくすれば飽きがくるし、その時には消す。この時に、私が唯一人であることに気づき始める。誰かがそばにいれば、一人じゃないという考えの人もいるだろうが、テレビがそばにあり、そこから映像と音声が聞こえればそこに人がいると考えるだろうか。私が唯一人であることは、私のそばに実際に人がいても、それは私が覗いている窓の映像と音声であるということ。直接にその人と感覚を共有することはできないということだ。私は感覚の共有が直接にできないからこそ、そこに人がいることを確かめるために会話をし、感覚の共有を言葉によって間接的に感じている。会話が必要であることこそ、私が一人である証拠でもある。
   私達ということは、共感というものの中に私の寂しさを忘れさせるが、やはり私が唯一人であるということ、寂しさそのものを解決することではない。
   私が唯一人であることを考えることは、私を考えることであり、寂しさが何であるかを考えること。私の自由というものは、この寂しさの中に存在するように思う。