父と子の対話

夕食時の会話。概ね、このとおり。
 
父(私)
   学校の平均点など気にしなくていい。周りの点数など気にしなくとも、唯私一人が点数が良ければよい。
   私一人の点数がよければそれで良いという言い方は駄目だ。学校では皆が点数がよくなることが良いことであって、私一人が点数が良いということは、反感を買う言い方だ。
   勉強とは一人でするものだ。私が努力をし、私の点数を上げることについて何らやましさはない。私が影響を与えることができるのは、私の点数であって、皆の点数ではない。皆の点数は、個々の人が努力をすることだ。
   先生の視点であれば、皆の点数が上がることが良いことだが、私からは私の点数が上がることが良いことだ。私の点数が上がることで他人の邪魔をするわけではない。間違ったことを言っているのではない。
   同じ事象であったとしても、日本人的な表現では、「私の点数が良い」という表現はよくない。先生によっては、きっと何か言われる。こういう時は、「がんばって勉強しました。」と言うんだよ。
   「1000人の人がいる。このうち、500人を助けるためには500人を殺さなければならない。」と言うよりも、
   「1000人の人がいる。このうち、500人を助けるために500人の人が死ぬことができる。」
  同じ500人が死ぬことについて、このように言うことができるんだよ。
   同じ事象を言い換えることによって、良く見せたり、悪く見せたりすることは良い表現とは思えない。むしろ、このような表現の中にはおかしさがないかを考えることだ。
   日本人的な表現としては、私は他人の言葉の言い換えを見つけることができ、私は他人に対して言い換えを十分に発揮できる。これが良いことだね。
   .....。