希望

  コンクリートと鉄できた巨大な箱が爆発し粉砕された。この箱からは文字通りに災厄が飛び出し、日本を、世界中を汚染した。そして、この残骸にも希望が残っていた。
  日本のIAEAへの報告に見られるように「地震は大丈夫、津波が悪い。」「津波対策すれば大丈夫。」 これが私に提示された希望である。

  福島原発の事故が想定外であったように、今回の事故を反省して対応したとしても、新しい想定外が生まれるだろう。目をつむりたいものからは逃避して、想定したものにお金をかけることが嫌気がすれば結局は想定しなかったことにする。原子力はコストと相対した安全を提供する。原子力は安全です。これが今回、箱に残った希望である。

  パンドラの箱の希望の意味は何を意味しているのだろう。希望には、無根拠、無反省であること、事実と期待の間には因果関係がないことが含意されているのであれば、希望とは更なるに災厄を生み出すための種、災厄を循環、継続するための罠となりうる。希望はもとより災厄の一つとして箱に封じ込められていたのではないだろうか。

  ドイツは、コンクリートと鉄の残骸に安全への無根拠を見つけだした。日本はこのコンクリートと鉄で作られた箱の残滓に安全を見つづけようとしている。福島原発と同じ規模、これ以上の事故がさらに起きたとき、日本は 貧しい国となるだろう。この時には更なる箱が連鎖的に開かれていくだろう。
 日本周辺土地と海は汚染され、多くの子供が命を失い、世界は日本のモラルと技術を信用しなくなるだろう、国債は売れず、日本はこれまでの借金を返すことに汲々とし、もはや復興への余力は残っていない。
  原発が1基でも破壊されれば、その破壊は土地、海、人へと伝播していく。今回の事故は災厄を世界中にまき散らしたが、想定される最悪の事故ではない。1基で核爆発が始まり、作業員も避難し、そうする内に次の1基で核爆発が起こるこのような事態も想定できた。そして今もこの可能性は、福島でも他の原発施設でもアクシデントがあれば起こりえるものと思う。
  箱の中には反省が残されていれば良かったと思う。この私の希望にも、もちろん根拠はない。