猫の毛は、弾けるように抜けるのだろうか

  1匹の猫がいる。タマとしよう。タマのヒゲは6本あるとしよう。そのヒゲの一本を切り落としてみる。落とされたヒゲはタマではない。ここまでは常識的、タマのヒゲは5本になったのだが以前としてタマである。かわいそうだが、ヒゲを全部落としてみよう。ヒゲのない猫は、やはりタマだろうか。ヒゲどころか毛を全て刈ってみる。やはりタマだろうか。裸になった猫は、やはりタマだろう。刈り落とされた毛は既にタマではない。抜けそうになっていた毛もあるはずだが、抜けそうになっていたけど、かろうじて抜けていない毛はタマだろうか。何万本かある毛の一部は、抜けているのか、抜けていないのか判断がつきにくい毛があるだろう。
  ある瞬間に定まった、抜けていない毛(タマ)と、抜けた毛(タマでない)があるわけではない。あると言いたいところだが、その瞬間を微分的に追いかけていっても、少しずつ抜けていき、どこかで完全に抜けるのだろうが、顕微鏡的に見れば見るほどに、その瞬間を見つけることは難しくなっていくだろう。というか、その瞬間はいつかは、線分における点のように、長さを持たなくなるだろう。
  毛が抜けているか、抜けていないかでタマを特定することは難しい。これがはっきりするとすれば、タマの毛の抜け替わりの季節は、大変なことになる。何万本か分からないが、抜けそうになっているような毛は存在せず、抜ける時は、一斉に抜ける。一度、見てみたい気がするのだが。
  現実に、そんな猫はいない。猫は抜けそうな毛や、抜けているけど、他の毛に引っ付いて付いている毛も含めてタマと呼ばれている。そういう意味で、猫やタマと呼ばれるものはあいまいな存在だ。