世界観というもの

  「くいしんぼうのあおむしくん」という絵本がある。はらぺこ青虫君に似ているがそうではない。世界が青虫君のお腹の中にあるのだが、私達の星や宇宙は、青虫のお腹の中なのだ。壮大な世界観なので、自分が幼稚園のころに読んだのだと思うのだが、ずっとこの話を考えていたりする。子供の頃から、世界は何か生き物のお腹の中にある。私達は腸内細菌の一つでないかというイメージを持っている。超巨大な生物の細菌としてその体内に存在する。その超巨大な生物も、さらに腸内細菌だったりして、以下、延々とこれを繰り返す。このことは、そうだとも違うということも証明は不可能だろう。
  話は変わるが、去年から金魚を飼っているのだが、私が金魚に飼われているのではないか。家の金魚が世界の主、神様だったとして、これを私が世話をする運命と言うか、義務を負っているとしても、私にはこの是非が分からない。金魚の寿命がくれば分かるではないかと言う意見もあるかもしれないが、その時には転生されてしまう。そして、誰が新しい神としての金魚の世話をしているのか分からない。ユダヤ教のタルムードという教えに世界は30人の義人で成立しているという話があるが、世界が成立しているのは家の金魚様のおかげかもしれないという妄想を考えるのだが、このような話は、論理的には、証明もできないが反証もできないだろうと思う。
  もうひとつ違うパターンでは、死後の世界。天国や地獄、誰も見たことがないが、あると言われているし、実際にそれを本気で信じている人もいる。死後の世界のために、現在を生きているという人もいる。肯定、否定ともに証明不可能。何せ、生きている間に見ることは、論理的な不可能だから。生き返ったという人の話もあるが、妄想や幻覚との違いが分からないし、これも肯定、否定ともに証明不可能。
  うちの金魚も信心からだろうか。