ややこしくて面倒くさい「因果関係」

子 「ややこしい」と「面倒くさい」って同じ意味じゃない。

父 違うよ。ややこしいから面倒くさいんだよ。面倒くさいからややこしいは成立しないよ。

子 でも、同じ意味で使ってない。面倒くさいことをややこしいと言ったりしてるよ。

父 面倒くさいことは、ややこしいことが多いから、日常だと同じように使えることが多いけど、必ずしもそうはならないよ。面倒でも簡単なことはあるだろ。単純作業の繰り返しは、面倒だけどややこしくはない。因果関係は、ややこしいから面倒くさいへ成立しているんだよ。その逆は必ずしも成立しないんだよ。いや違うか。ややこしいから面倒くさいに因果関係があるなら、面倒くさいからは、ややこしいは必然になるな?この場合は、面倒くさいからややこしいのか?????

子 学校の評論にあったんだけど、「因果関係は人の勝手な見方に過ぎなくて、物の側にはない。」と書いていたよ。そしたら、ややこしいから面倒くさいの因果関係はないんじゃない。

父 ややこしいは、物理的な複雑さを意味しているけど、面倒くさいは人の感想、主観の表現なんだよ。
だから、物理的な現象化から主観が成立している。面倒くさいの時点で主観が入っているのは確かだよ。
因果関係を説明するとややこしくて面倒くさい話になるんだけどね。
因果関係が厳密な意味では成立しないのは、ヒュームという哲学者が指摘しているんだけど、
例えば、ここにあるガラスのコップに、フォークをカチンと当てる。割れるか割れないかはまだ分からないよね。100回やってみて、100個のコップが割れると、割れたコップとフォークの間には因果関係があると、思うよね。でも101個目のコップが割れるかどうかは、やってみないと分からない。100個のコップが割れたことから言えるのは、次のコップも確率的には割れるんじゃないかと推測できるだけだよ。次のコップが割れなければならない理由は論理的にはない。物理的にも101個目のコップがとても硬いとか、粘度があるとか何かの理由で割れないことも起こることがある。
決して単純な経験の積み重ねだけでは、因果関係にならない。このことには、注意した方がいい。
教訓っぽい話になるけど、農場に住んでいるひよこは、毎日えさをくれる農夫のことを、とても親切な人だと思っているだろう。毎日えさをくれるし、家の掃除もしてくれるからね。でも農夫は、本当に「やさしいおじさん」なのだろうか。

子 量子力学で、手がテーブルをすり抜けたりする可能性があるって読んだことがあるんだけど。

父 そうだね。手がテーブルをすり抜けるのは現実には起こりえない確率だと思うけど。
強い因果関係を考えると、テーブルに手が当たって跳ね返るのはやはり、偶然的だと思うね。テーブルが古くなっていたり、空手の達人ならテーブルくらいは手で抜いてしまいそうだね。
強い因果関係を考えると、AとBに因果関係があるならAからは必ずBが生じなければならないことになる。
現実の出来事では、AからBが生じなければならない理由はないんだよ。これまで1万回、AからBが起きることを確認しても、次にAからCという現象が生じる可能性は否定できないんだよ。物理的に、マクロにはAからBが生じることは言えたとしても、ミクロの要因まで考えるとかならずAからBが生じるとは言えないんだよ。工場でもどれだけ計算していても必ず不良品が生まれたりするだろ。

子 強い因果関係を考えて何の役に立つの。

父 まあ役に立つのは裁判とかだろうね。どれだけ強い因果関係があれば、犯罪が成立するかとかだろうね。被告が犯罪を犯したのは、被告の劣悪な環境に原因があるのであってとか言うでしょ。あんまり、ゆるゆるの因果関係で罪にされても困るし、かと言って強すぎる因果関係だと犯罪なんか成立しない。
だから、どの程度の因果関係が必要かを考えるのは重要なことだよ。

子 結局、因果関係はあるのないの。

父 論理的には、因果関係というものは成立しないと思う。だけど、日常的には因果関係は成立すると考えないと生活できないから、そういう意味では因果関係は成立すると考えた方がいい。

子 ややこしいね。