物忘れ早やすぎ。

  原発再稼動が問題になっているが、日本人の物忘れの早さにあきれてしまった。
  今も、福島原発放射能を撒き散らし、東電も原子力安全委員会原子力安全保安院もこれを止めることができない。
  福島の農産物は放射能に汚染され、放射能に汚染された牛は東京に出荷されていた。これからは、海産物の汚染が目立つようになるだろう。こんなことさえ、汚染牛の出荷さえ解決できないのに、原発は安全宣言。
  福島事故の責任の所在は、全く明確にされていないし、関係者の処罰が全くなされていない。関係者は人道に対する罪で、断罪されるべきだと思うがその様子もない。
  原発を推進してきた原子力安全委員会原子力安全・保安院が安全といっているのに、ストレステストをすることがおかしいという論調がメディアにあふれている。
  事故前には積極的に事故原因を具体に指摘されたにもかかわらず、これを放置をした原子力安全委員会原子力安全・保安院、彼らの言うことを信用できる人の頭の構造が分からない。
  読売テレビでは、コメンテーターが「安全は信用するか、しないか。」だと言っていた。信用するか否かではないだろ。福島原発では安全を信用していた結果がこれ。信用するのではなく、安全を立証すべきことを回避した結果がこれ。
  信用するか否かという次元で話をするにしても、原子力安全委員会原子力安全・保安院の福島の事故についての関係者個人の責任、断罪、贖罪が終わってから言うべきことだろ。彼らのこれまでの仕事は、結果として国民、世界への背任であり、何事もなしとげていない。贖罪などできるものではないが、彼らが未だに笑いを浮かべながら答弁する姿を見ると怒りがわいてくる。
  ストレステストなど、データを入れるのが原子力安全・保安院なら、安全の結果しかでないことは明白だ。彼らはこれまで危険と言ったことがない人の集合なのだから。都合の悪いことは、全て想定不適当でデータから抹消するだろう。

  福島の事故で、原発は簡単に爆発することが誰にも分かった。その気になれば、発電機に、送電施設の破壊や、道路の寸断で、送電関係、復旧関係の職員の抹消、この程度で日本の原発は、原子炉を直接に破壊しなくとも、勝手に爆発してしまう。
  日本の原発をあともう一つ制御不能にすれば、日本は今の状態にさえ復旧できないだろう。これに相対的な利益があると見れば躊躇なく実行する者はいないのだろうか。これは誰を信用すればいいのだろうか。