無いことについて

子 主人公は、頭の中にだけいる犬がいなくなったと言って大騒ぎをするんだ。
父 面白いね。現実の犬じゃなくて、空想の犬がいなくなったことを頭の中で想像しているんだ。元々いないものがいなくなる想像か。
子 主人公は、いつもこの犬と一緒だったんだよ。
父 いつもいない犬がいなくなる想像はどうだい。
子 どういう意味。
父 僕の頭の中には、普段から犬がいないんだけど。今日は、ポチがいないんだよ。いない犬がいなくなることができるだろうか。いなくなるということは、どこかにポチがいないといなくなるとは言えないよね。はじめからポチいなければポチはいなくなることができるのか。不思議に思えないか。
子 何。
父 だから、僕の頭には、タマがいないんだよ。とか、テリーがいない。ジョセフがいないとか。
いないものだから無限にいないと言えるよね。
このいないものをわざわざいないと言うとどうなるか。
普段は、頭の中にいる犬がいなくなったと言われると、まだ言っている意味が何とか分かるよね。
僕の頭の中には、ミミズがいないし、石ころもないんだよ。と言い出したら、意味がわかるかい。普段は頭の中にいるのかいと聞いたら、いやいつもいないよ。でも今いないんだよ。と言って騒ぎ出したら。
いないことは、間違っていないだろう。石ころが頭にないのは当たり前だけど、この当たり前のことを口に出して言われると違和感がある。
無いものについて、無いと言う。この手の上には石ころがないです。この文は意味があるか。
文脈によっては、意味が生じる場合があるよね。これから手品でも始まるのかな。と考えるしかない。でなければ、こいつ何言っているの。となるだろ。
私たちは、文章自体が意味をもっていても、現実の使用の中では意味をもって無いものについて言及することができない。在るものについてしか語ることができないんじゃないかということ。
子 はじめから無いものについては、語れないということか。でも空想ではいろんなことが語れるよね。
父 空想でも、無いものについては語れないんじゃないか。空想上あるお話は可能だけど、空想上もないお話ができるかい。