台風の通過ときな臭い世の中

  台風が過ぎて、今日から夏らしくなるのだろうか。
  例年、家族で夏には旅行に行っていたが、今年は行けるものか分からない。
  上の子も、下の子もそれぞれ予定があり、忙しい。8月末ごろに都合がつくだろうか。

  安倍政権のもと、解釈改憲が行われているが、自民党は寄らば大樹のかげであり、日和見、ほか小判鮫のような政党は問題外。
  全体主義という流れが来ているのだろうか。日本は、元より全体主義的傾向が強い。
  何らかの議論がなされるわけでもなく、全体の雰囲気、皆さんが空気を読めよという言葉が好きなように。このような結論づけ(論理的整合性、価値観のすり合わせ、合意が図られるのでなく、多数決を民主的と理解する傾向が強い、学級委員長選びのような人気比べ的)がなされることが多い。
  今回の、議論も噛み合っていない。互いに大砲を打ち合うのだが、高射砲を空に向けて打ち合うばかり。これが、自民党が言う議論であり、議論が尽くされた感であり、戦術なのだろう。本当の意図は、国民には言わない。ナチスであれ、ボルシェヴィキであれ、日本帝国であれ同様であった。  
  きなくさい感がして止まない。
  戦争をしないための法案と言っているが、目的が軍隊の使用のための法案であると言わないところ、ビッグブラザーの支配する世界、ダブルスピークだったか。戦争は平和であり、自由とは服従という感がある。
このようなことが、個人の意図により実行されるところに、全体主義を感じる。日本には、議論という歯止めがない。
  また、市民は市民権、公権を行使することがない。ただ、市町村民であるだけ。その町に生まれたということにしか市民を理解していない。公民権の行使の意味こそが市民の意味であるだが。
  こういう面倒くさい議論や、思考を行うことへの興味が少ない。朝のニュース番組を見ればよく分かるが、ほぼエンターテイメント中心、大事な内容は一時間の内、5分から10分くらいだろうか。
  良い世の中を期待するが、うちの子の時代、その子の時代はどのような時代になるのだろうかと思う。